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ボクシング好きです。桜ノ宮スケートリンクで、西日本の新人王戦を観戦したのが、14歳。ケンカ強さに憧れる年齢ですから、空手をやったりジムに通ったりしました。
今でも、欠かさずにTVは見ます(wowwowさんありがとう)。年に何回かは、生観戦にも行きます。野蛮だし残酷だけど、拳一つで向かい合い闘う。燃えー、です。
今は、ケンカも戦争も嫌いなのに、やっぱり辞められない。サッカーもそうです。ヤンマーのファンで日本リーグ時代から、釜本や吉村を観にいってました。テレビ大阪や深夜のNHKで、欧州サッカーやワールドカップを必死で観てました。フランツ・ベッケンバウアーのファンでした(今やドイツ大会のリーダーですが)
思うに、限られたルールの中で(不自由さを前提にして)自分を精一杯表現する、というのが人生の縮図になっていることを直観的に感じていたのでしょう。なんて、リクツをつけますが、妻や娘には留守中のビデオ撮りを口やかましく指示するために不評でありますが。
自分の脳内世界が世界である、という煩悩のはたらきが足の先から頭のてっぺんまでいきわたって逃れようがない、悲しいですが。
そういう人間存在をまるごと抱き取ってくださる仏さまを「アミダ」とおっしゃるのだそうです。
「耳四郎の話」
鎌倉時代の河内の国に、天草の耳四郎という男がいました。盗み癖のはげしい男で、京に出て盗人として生計をたて、悪評にのぼっていました。
ある日、忍び込んだ屋敷の床下にいたとき、床の上では、法然上人を呼んでのお説教が始まろうとしていました。彼は出るに出られなくなり、床下でじっとしておりました。
お説教は、どんな悪業をかさねた人でも、そのままでは地獄に落ちるような人であっても、仏はいつでも見守っている。そして、救いの手をさしのべている、という話でした。
耳四郎はいたく感動し、思わず床下からはい出て、上人の前にひれ伏してしまいました。まわりの人は、さぞ驚いたことでしょう。
彼は、「私は幼いころから盗みがやめられず、こんな姿になった。こんな私でも仏は救ってくださるのか」 とたずねました。 「そう、仏の救いのあることを、いつも忘れず思いなさい。」 耳四郎は、自分のような者をいとおしむ仏のあることを忘れまいと、心に誓ったのでした…。
ですがね、この男、盗みはやめられなかったんです。で、法然上人まで悪くいわれるようになりました。
「仏を信じさえすれば、どんな悪業をしてもよいのか、とんでもない教えである」と。
ある信者は耳四郎が憎くてたまらず、殺してしまうために誘い出します。耳四郎に酒を飲ませ、抵抗できなくなった耳四郎の目の前で、隠しておいた刀をふりあげました。そのときです。
彼の目にうつったのは、酔いつぶれた耳四郎ではなく、黄金色にかがやく仏であったというのです。殺そうとしていた彼は、思わず刀を落としました。我に返ってよくみれば、それは耳四郎が、南無阿弥陀仏と祈っている姿でした。耳四郎は涙を流し、つぶやいていました。
「お前がおれを憎むのも当然だ。おれが悪かった…おれは自分の行いが罪だと知って、それでも救いの手をさしのべてくれる仏に一心に祈っていた…けれども生来身についた悪い癖は、どうにもなおせないのだ。どうしたらよいのだろう…おれは、この仏にたよるしかないのだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」
彼はけっして、開き直って盗みを続けているのでは、ありませんでした。自らの性癖をなげきなげき、それでもいつのまにか、忘れて悪行を犯している。おさえようとしても、煩悩はとどめようもなくあふれてくるのです。彼は晩年にいたって、ついに盗みをやめることができました。しかし生計のための盗みでしたから、衣食に窮した耳四郎は、京を去り、ひっそり暮らしたということです。
さて、耳四郎は救われたのかどうか?あるいは、無事平穏な晩年を送ったのかどうか?一切記録はありません。私たちが、考えるしかない。
「無明」を生きるしかないと気づいたとき、それに抵抗するか、何か自分の世界の外に救いがあるのか、はたまた滅亡を望むのか、人生いろいろです。少なくとも彼が、自らの「無明」を嘆いている所に共感しますね、ボクは。
うまいもんを食いたくなったり、いい女性にふらふらと惹かれたり、あれもこれもキープしたいと思ったり。恥ずかしいと思う気持ちもあるが、だいたい最後は開き直る。「しゃーないやんけ。」と。
生きてくってのは、ややこしいこってす。
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トラックバックありがとうございます。盗みをやめることができなかった耳四郎は、とても他人事じゃありません。私は、今はまだ自分の「無明」にとまどうばかり。抵抗しているつもりで、気付いたら更に深い無明に落ちている。どうしたもんか、と考えているんです。
2006/2/27(月) 午前 10:01