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私は、お寺が嫌いであった。父である前住職は、大学教員との兼職で、その肩書きもあってか講師として他のお寺へもよく説教に呼ばれた。真宗の僧侶社会では有名人であった。TVにも出た。本も書いた。
だが、月参りは嫌いでヒマがあれば本を読んでいた。家族に執着するわけでもなく、兼業で収入は多かったし二人の息子は公立で大学まで出たから、昭和一桁らしくグルメでブランド好きで海外旅行好きであった。
そういう姿に反発していた。何か方向が違うと。お寺は月二回の法座(説教会)はきちんとこなしていたが、父も母も俗で宗教的には思えなかった。祖母は何かと孫の干渉し、うるさい存在であったが、お寺の長女らしく念仏を喜び、父を助けて「月参り」を80歳を超えるまでしていた。また、毎朝毎夕の勤行も大学へ出勤する父に代わってきちんとしていた。
私は、友達がつくれない体質で、それはおそらく祖父母の影響で一人の念仏者として育てられたからであろうが、音楽が友でありギターと歌で生計が立てばと夢想する少年であった。親鸞聖人の生き方や念仏の教えには、よくわからないまま惹かれていた。しかし次の住職としてお寺をやるのは、まっぴらゴメンであった。葬式や祖霊信仰の肩代わりで、多額のお金をもらう。わけがわからん仕事で、世間は偉い人扱いをしてくれるが、たいしたことをしてる実感もなく、ひたすら反発したがかといって家出するだけの度胸もなく、ぐずぐずしていた。
大学で演劇に出会い、全く自由に自分の頭で考えることを教えてくれた多くの先輩に出会い、おそまきながらの自立を果たした。で、当然お寺を出て下宿生活に入った。家からの仕送りは遠慮せず、ひもつきの情けない自立であったが。親心に「つけこんだ」ずるい自立だ。
ま、そんなこんなで、教育系大学を出て、小学校教員になった。中高にしなかったのは父は自分の学校に入れようとするからであった。それでも、知り合いに手を回し就職地などをコントロールしたらしい。
劇を作る、脚本を書く、演出プランを立てる。そういう経験を通して、読書量が増え思想や哲学や宗教を学び、文学論文を書く。大学の4年間は大学のカリキュラムではない学生サークルや自分のカリキュラムで最高に勉強したし、それが楽しかった(おまけに今の連れ合いとの恋愛もあったし)。
学生仲間にはよく言われた。「どうしてそんなに自信満々なの?」と。それが不思議であった。真理は表現であり言葉であるから、何よりもその蓄積量がものを言う。自分を信じたのではなく、それら真理に至ろうととする人類の先輩の表現や言葉を信じたから、そう見えたのであろう。
そういう若者の稚気に、ビターな部分を与えたのが「浄土真宗」であった。
中でも蓮如上人が書いた「八万法蔵章」という文章の文言が、十分に理解してはいないが、強烈に胸にささった。「それ八万の法蔵を知るというとも、後世を知らざると愚者とす。たとい一文不知の尼入道たりといえども、後世を知るを智者とすといえり…」
命の行く末を明らかにしていないものを仏教では愚か者といい、世間では無知だといわれ差別されるような非識字者の女性であっても、命の行く末を知り安心できるものが本当の智恵のあるものだ。
この言葉が、生活者へと私を引きつけた。学者になるとか有名な芸人になることより、市井の凡人として生きることが「尊い」。ずるくて卑怯で自分本位で目の前の小さな利益を守ろうとする、そういう普通の人であることの方が難しいのである。そういう煩悩具足の凡夫、罪悪深重の凡夫、それを救うために現れたブッダがおられる。お前のためにブッダになったとおっしゃる。自己嫌悪になったり自己否定したり反対に傲慢になったり夜郎自大になるのが、私の姿であるが、弥陀仏の願いによってそれがそのまま仏への道へと変わる。虚仮不実の私に真実の仏が満ち満ちてくださる。
自信なんぞ死ぬまでないのである。失敗と間違いの繰り返しかもしれん。でも、ブッダが私を次にブッダになると決定されている。絶対他力による慈悲が私を支えている。だから生きていける。
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なんというか、やはり私にも大変自信に満ちた落ち着いた様子だと感じられます。うらやましい。私は、自分が凡愚だということは重々承知しています。それでも、なんとか賢くありたいという欲があって、現実の自分があまりに愚行を繰り返すので苦しむのです。自分にないものを欲するんです。
2006/3/9(木) 午前 9:36