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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫学びの家

新井満「千の風になって」を、詩として授業する。

千の風になって

私(わたし)の お墓(はか)の 前(まえ)で 泣(な)かないでください
そこに 私(わたし)はいません 眠(ねむ)ってなんかいません
千(せん)の風(かぜ)に
千(せん)の風(かぜ)に なって
あの大(おお)きな空(そら)を
吹(ふ)きわたっています

秋(あき)には 光(ひかり)になって 畑(はたけ)にふりそそぐ
冬(ふゆ)は ダイヤのように きらめく 雪(ゆき)になる
朝(あさ)は 鳥(どり)になって あなたを 目(め)覚(ざ)めさせる
夜(よる)は 星(ほし)になって あなたを 見守(みまも)る

※私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
※くりかえし

9.11テロの中で生まれた詩。夜間の生徒さんの受け止めはどうだったろうか?


本当に驚かされることばかりだ。

「私のお墓、ちゅうことはこの人幽霊か?」
「どうやろね。ただ死んだ人が主人公やね。」

一番の歌詞を読む。そこで生徒さん。
「千の風ちゅことは、お墓が千あるちゅうことやね。千人死なはったんや。」

何の説明もなく、素直にそう出てくる。
「阪神大震災か?」
「いや、広島の原爆?」

「原爆ドーム、行きました。あのときのままおいてあるから、あれがお墓やね。」

なるほど。あの日、帰ってこなかった人がたくさんいる。9.11の世界貿易センタービル跡はそのものが墓地である。原爆ドームに平和公園もまたそうだ。授業する私の無意識が、生徒さんの発言ですーっと引き出される。

個別のできごと。すぐれて個人的な言説に普遍性をみる。批評とはそういう行為でもある。

私の恩師は「人間には感覚の大系というものがあり、世界のすべての人がそれを持っている。芸術とはそこを経由した普遍を構築する行為だ」とおっしゃり、文藝批評もまた「創造」であると教えてくださった。

授業もまたそういう意味での「創造」である。個別の条件に依拠しながら、40分の時間で普遍にいたる行為なのである。

人生経験豊富な方に包まれて、人間とは生きるとは芸術とは宗教とは何かと、毎日、素晴らしいレッスンを受けている。これで時給をいただくとは、贅沢な暮らしである。

  • 顔アイコン

    評論から受ける作品の味わいや感動。作者の意図を越える感動を伝えるメッセージがあったり、受け手側の感性に驚くことがあります。反面、知に走る専門家の言葉にうなずきつつも、作品への興味や魅力は引き出されないことも。生徒さん達、素敵です♪

    鈴木藍子

    2006/3/21(火) 午後 3:39

  • 顔アイコン

    素直な眼が生み出す批評は、まさにそれ自体が創造だと思います。なかなか余計な知恵が身につくと、物事を素直に見られなくなると感じます。我ながら青クサイと思うこと、しばしば、です。。。

    single40

    2006/3/23(木) 午前 10:36

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