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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫お寺のくらし

組の仕事

私たちの宗派は、大きいので日常、京都の本願寺に皆が召集されることはありません。次の単位は教区ですが、これは都道府県単位に近い。で、日常よく集まるのは、その中での小さい単位。
「組(そ)」と言います。

自分のお寺ではなくに、この単位が布教の基礎となります。だから予算も決算も事業も、ここで行われる。その組で、私は副組長をしています。

ところが、中々これがまとまらない。各お寺はそれぞれが一国一城ですからね。組として何かやろうというレベルには、行き着かないのを、無理してやっている感じ。

教団としての組織図があっても、組織として機能しない。ま、宗教団体ですから本来の意味では、組織的にできることって少ないのかもしれません。しかし、教えを広めるといった時に、まとまった資金を有効に投与することで、可能になることもあるのですが。そういう発想になじめない。

「そんなことをしたって信心の邪魔」「差別や靖国の問題なんてやるから、人が集まらない」という批判が返ってきます。

ま、個々に考えてやればいいと言えばそれっきりですが。何でも個人に返してしまうと組織は必要ないし教団もいらないということになります。

世間の人から「閉じている」と感じられていて、それでもやってくる人のみを対象にするのでは、持たないと思いつつ、まいっか、とやる気をそがれ、組織はしんどいなあと思うこの頃。

わ、結局、愚痴ってるなあ………。

  • 顔アイコン

    何でも個人に返してしまうと組織は必要ないし教団もいらない。全くそのとおりでしょうね。組織はしんどいので、そのしんどさに値する何かが返ってこないと、どんどん崩壊していくんでしょう。なんとなく、今の「家庭」もそうなのかな、と。最小の組織、ですから。ホントはみんなしんどいのかな、と。

    single40

    2006/4/7(金) 午前 11:37

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    組織を外に開く窓口とするのか、集団の外壁とするのか。目的を明確にし共通理解を得ることが大切なのでしょうが、できあがっているものは今更って感じで、維持のみが目的になってしまいがち。お役目お疲れ様です。

    鈴木藍子

    2006/4/7(金) 午後 0:25

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    お坊さんの世界に疲れるというのかなあ。人に話を聞け(聴聞せい)というのは得意なのに、自分は世間の人の話を聞かない。だから会議にもならんし、仮にみんなで決めても守らん。自分の思うとおりにする。ちょっとそういう風潮に自分も染まってきたまなあとユウウツなんですねえ。

    nazuna

    2006/4/7(金) 午後 11:30

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