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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫仏教をカタル

古代からずっと宗教はテクノロジーであった。

こう言い切ったとき、様々な反論疑問があるだろう。そりゃそうです。で、私の感覚だけでも説明?しておきます。

教員時代に「社会科の授業をつくる会」という民間教育サークルに出会った。本を読んだり一回ぐらい会合に出ただけだが、一つ素晴らしい授業に出会った。「手の授業」という。

子どもたちに「親指」を使わないで服の着脱をさせる事から入るのだが、人間と他の動物の違いを「親指の対向性」に見るものであった。つまり、親指が他の指と向き合えることで、「道具」が誕生する。科学法則を利用して「道具」により自然に関与する、これが文明の始まりであるというわけである。

つかむ・にぎるという手の動作を延長する(外延)。ブログで言えば、指で書く→石で書く→石に刻む→木に書く→紙にペンで書く→キーボードを打つ、と形態は進化するが、本質は同じであることがおわかりいただけるのではないか。

手の延長足の延長、目の延長、口の延長、というように、人間は自己の機能を外部化し同時に自我を広げていく。そういう技術やそれを支える思想を含んで「テクノロジー」ととらえ、さらにいくら外延しても遠ざかるだけの、自分自身・自己・生命。逆に「内延」しなければ届かない、そういう「テクノロジー」として宗教を感じている。

言い換えれば、神や仏や天国や浄土等、言葉にした「非物質」存在が「技術」そのものだと直観しているんです。

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    親指を骨折した間、毎日が「手の授業」状態でした。痛感しました。 ところで。テクノロジーが機能の外延であるのに対して、宗教は内延だというご指摘は面白い。禅宗なんかは、かなり修行が体系化されていますが、あれも悟りを得るためのテクノロジー(技術)なんでしょうね。

    single40

    2006/5/31(水) 午後 2:34

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    オウムがウケタのも、内延のテクノロジーを客観してステージ化したことによると思います。工業化社会の宗教であったのでしょう。そして恐ろしいことですが、そのステージ化ステイタス化が、技術科社会のコアであるならば、オウムは正統でありかつ「解脱の為に殺してあげるのが慈悲」という最終到達点(特別金剛乘)は、イコールこの社会の到達点を暗示するのではないかという事なのです。

    nazuna

    2006/6/1(木) 午前 10:59

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    オウムが工業化社会の宗教だというご指摘に全く同感です。高級幹部の連中に異様に理科系が多いのは、偶然ではないと見ます。解脱にステージという「偏差値=到達度」の物指しを導入して「測定」する、、、これは科学ですね。彼らの結論は怖ろしい。「理解できぬ闇」をそのままにすることも必要じゃないかと思うのですが。

    single40

    2006/6/1(木) 午後 7:06

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