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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫仏教をカタル

ワールドカップと宗教

今回のワールドカップの中継で、良かったことの一つに、試合前のロッカールームのブラジルチームの様子が写されたことをあげたい。

たぶん、気に留めた人はほとんどいないのかもしれないが、いい絵が撮れていた。

全員が円になって、神への祈りを捧げていたのである。「アーメン」で輪が解けてロッカーから飛び出していく選手たちが映された。

選手交代でピッチに入るもの、得点したものが、十字を切るシーンも多く映された。試合後ピッチに坐り祈る姿も映された。

選手たちの全力を振り絞る、振り絞れねばならないという意志を支えるもの。また、最高のパフォーマンスを成し遂げさせるもの。それは人生をその御心に従い、裏切らないように生きようとさせる「神」の存在である。天国に生まれあるいは迷える子羊を導く「神」をいただくことで、例えば負傷することへの不安や失敗への怖れが拭われる。

自分という内なるもののパワーには限界がある。殻を中々崩せないのである。それが自分の外からもたrされる「加護」「恩寵」を受けることで、受苦のイエスをいただくことで、実は自分を越えて解放されていくのである。

今回のワールドカップで明らかに見劣りした日本人選手の有様、つまり中田英寿流に言えば「自分の力を100%出す方法を知らない」という姿に、宗教の欠如を感じるのである。信じたら試合に勝てるとか点が入るとかではなく(これが現代日本のわかり易いご利益宗教)、人生の瞬間瞬間に神の応えて全力を尽くすことが「死後の至福」とつながっているという確信が、一つ一つのプレイの裏に必要な「断固たる決断」をもたらすのである。

そういう人生全てを支える教えをもたないものが、いわば命を預けて結果も気にせずその瞬間に「自分全部を賭けるものに、敗れるのは必然であろう。

かつて「カミカゼ」と怖れられた日本軍兵士は、疑似一神教であれ「皇国」や「現人神」の存在に命を預けて戦った。それゆえに、その潔さと強さがヨーロッパやアメリカに脅威を与えたのである。

「命を大切に生きる」ということを、自己の身体や自我を大切にすることだと誤解している日本人からは、ザンブロッタやカンナバーロ、マケレレやテュラムは生まれない。

ベッカムの慰めに涙にくれていたテリー。審判の誤りという態度を貫くルーニーにも、神の意志に背かないためには自己の信じる道を頑なに貫くという姿勢が見える。

出場国と選手を、宗教で分類してみると、いろいろなことが見えてくる。そういう見方も、ワールドカップ観戦法の一つだと思う。

nazuna
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