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いよいよ、お盆。といってもちょっと世間とズレてるんやなあウチは。 タクシーに乗ると運転手さんが「お盆で忙しいででっしゃろ?」とあいそしはるんで、いつも返事に困る。真面目なnazunaは、 「いえね。うちは門徒さんの家を回るということはしないんですよ。ただ世間が〈お盆〉や〈墓参り〉や〈帰省)やとなりますんで、家族向けの連続法座を12〜15日まで6回ひらくんで、その準備は大変です」 と説明するハメになる。 そうなんです。伝統的な真宗門徒は「平生業成(へいぜいKごうじょう)」といって、阿弥陀如来の本願で往生成仏が決定している「私」と知らされ、さらに成仏後は縁ある衆生を仏法に出会わせ救済するために、ただちにこの世にもどってくる(これを還相の回向という)といただいているので、夏の8月(旧暦は7月)にだけ先祖が帰って来るという発想にならんのやねえ。 要は、死者は死者ではなく、またあの世でじっとしているのでもなく、アクティブなブッダとしてこの私の命を支え導き浄土往生ささえるためにはたらいておられる。そしてそれを私どもに知らせるのが 南無阿弥陀仏の六字の称名念仏(文字の、声のほとけさま)ですから、いつでもどこでも私とともに仏さまな在るというのが実感なんです。 だから、日本の古層にある「精霊会(たましい迎え)」に由来する、お盆という行事がそもそも無い。 びっくりですか? ま、でも、江戸期にお寺は人民管理の組織になってしもたんで、他宗派や世間の影響を受けて「盂蘭盆会」や「盆会」という行事を行うようになってます。 「日々是好日」、なら正月も誕生日も結婚記念日も関係ないのが本来ですが、それでは宗教が観念になっちゃって実体がなくなる。難しい学問みたいになる。だから、世間の慣わしやあり様に関係ずけたり意味づけたりして、仏さまの教えに出会う機会(縁)としていくわけです。 そういう意味でウチのお寺も「お盆」をやりますが、仏教としての一線を明らかにする為に、「歓喜会(かんぎえ)」という名称にしています。 家族や祖先の記憶、さらに歴史的に自分の命をとらえることをきっかけに、真実の教えに出会い生命の尊さと人生を生かされる安心を獲ていただくこと、これをお経には「信心歓喜」と説くので、歓喜会といいます。 この法座はインドにおける釈尊の夏の安居になぞらえてもいます。そこで「信心」を獲た喜びを、踊りで表現したのが〈念仏おどり〉で、これが〈盆おどり〉のルーツです。 さらに戦後五十年までは15日の最終法座を「全戦没者追悼法要」にして、戦争のもたらす憎しみや恨みさらに悲しみや痛みをたどりつつ、それを越えていく仏さまのお慈悲を味わってきました。 盆おどりできるほど境内が広くないことと戦没者追悼の思いを継承するために、8・15の夜は、ライブコンサートを行います。今年はジャズバイオリニストのシーナきのはらさんが来てくださいます。冒頭で、私が詩を朗読したり歌を指導したりもします。 大文字の送り火は山から天上への魂送りで、精霊流しは海の彼方への魂送りですね。大陸からと海からとの祖先たちの記憶でこれも私たちのDNAにひびく慣習です。それらを否定するのではなく包み込みもっと広く大きな世界へと導かれる行事として、浄土真宗のお盆を受け止めてくださったら嬉しいですね。 ちなみに今年は「真宗は365日お盆」というメッセージを送っています。
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お寺のくらし





