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別の稿にも書いたが、かなりのボクシングフリークである。wowowのエキサイトマッチは今でも欠かさず見ているし、ボクシングマガジンも購入歴数十年である。
憧れではなくスポーツとして興味をもった。「なぐりあい」というレベルの西日本新人王戦お観戦から始まって、やってみようと思って親に隠れてこっそりとジムワークをしてみてつくづく感じたのが、酷なスポーツであるということと奥の深さである。
自分のパンチがとどくというとき、同一重量の相手なら相手のパンチもとどくということである。その距離というもの、それからリングという四角いスペース。空間と距離と自分の身体感覚。ところがそれを試合で発揮するには基礎体力が要る。そして筋肉の質も。柔らかい動きができるのかスピードがあるのか、様々な個人差や特徴がある。さらに。ラウンドマスシステムという採点がある。
ところが、それらに対して当時のジムや日本のボクシング関係者は「興行中心」であり、スポーツとしての分析力はなかった。ガッツ石松氏のコメントを聞いていると今でもそうか?とも思う。
強いパンチ力があろうと当たらなければ倒せない。また仮に当たったとしてもその衝撃を80%に和らげる技術や筋肉を相手が持っていたら倒れない。
技術とパンチが100のA対70のB対戦があったとしよう。結果予想はAの側の勝ちと大方は予想する。ところが、Aの側の維持力が50で、Bの側の維持力が80であったなら、12Rまで進めば5000対5600で、Bの側が勝利する。
またところが、その最終12Rで判定勝ち目前のBにAのやけくそで振り回したフックが入るということだってある。
選手たちは実にそのような100%の担保がまったくない形で最後まで闘うのだが、人間の自意識と実際の身体感覚は意識とズレルことが多いから、それを客観的に観察しながら的確なアドバイスをする存在、「セコンド」の力も結果に対して重要である。
さらにゲームプランをもとに必要な準備をするトレーナーの仕事、また大前提としての選手の身体能力さらに心理を理解し支えるメンバーも必要。つまり、チームで闘うことになるのである。
スポーツとしてのボクシングとはそれほど繊細で身体的にも頭脳的にも最高のレベルを求められる。日本のジムにはこのバックアップ部分やチーム機能が低い。さらにボクシングを「興行」と原始的な「なぐりあい」のレベルでとらえたがる。
確かに単純ななぐりあいは素人にもわかるし、結果も派手であるから人気も集まる。別の格闘技だけど、曙をリングにあげたりするのをスポーツとはいわない。おそらく曙本人に関係者たちが何らかのマインドコントロールをしリングにあげたのであろうが、殺戮を見せるのをスポーツとはいわない。だから対戦相手に加減をさせたりするのである。そういうことが可能なのも格闘技の宿命なのであるが…。
とにかくマイスター・ミゲールカントのように、ボクシングというスポーツの本質を知る傑出した選手の存在がボクシングを深化させてきたことも事実であり、興行成立の可否というスポーツとは別の要素に左右される、実情からは仕方のないことである。
リングを降りる時には勝者と敗者。年齢的に30前後がピークだとされるこの世界で、40をすぎても賢くずるく勝ち抜いているチャンピオンもいる。そういうところが面白くまた考えさせられる。
少しは魅力を語れたであろうか…???
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