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以下は、今年うちの門信徒さんに送った「歓喜会」の案内。
何か皆さんの参考になれば。
お盆ってなあに?
○お墓参りのルーツは
わたしたちの祖先は北から南から、日本列島にやってきて、海や山でくらしました。えものをおいかける暮らしの中で、海山で死ぬ人も多かったことでしょう。残った人々は自分たちの命を守ることにひっしで、遺体を埋めるゆとりもなく、海へ流したり野原に捨ておきました。
やがてくらしが落ち着くと、〈死者への想い〉が高まり「見えないがいらっしゃる」と受け止められるようになります。それらを〈たましい〉と名づけ、一族を守りさまざまな〈めぐみ〉をあたえてくれるものとして、感謝の儀礼が広まります。その後、「死者は霊となってはたらく」と思われるようになり、未来のめぐみを求め災いをさけることを願うようになります。そして「祖霊をむかえる儀式」は一年のうちで決まった時期に行われ、そこでは〈木や山などの自然物〉から〈くしや鏡や剣などの日常用品〉が、霊のやどるモノ(よりしろ)とされていくのです。
中世になり町や村ができて、遺体の埋葬と葬式が発達すると、遺体の一部である〈お骨〉や墓地が今度は、祖霊のよりしろと考えられるようになります。「お墓参り」は、これらがルーツです。その心情は変わりませんが、対象は大きく変わりました。多くの人々の共通の祖先であったものが、「一族の先祖」になりやがて自分の直系の故人へと狭まってしまいました。
○お盆とは
「お盆とは盂蘭盆(うらぼん)という中国語」の略で「ウランバーナというインド語の音訳」で、最大の苦しみを表します。母親が成仏せずにリンネし苦しんでいると知った仏弟子モクレンの苦を、おシャカさまが解決されるお経です。そこではおシャカさまは、モクレンに他のサンガの仲間に食事をあげるという供養(利他行)を実行させます。それにより、「母は成仏した」と目蓮を導きます。
このお経が中国の〈孝〉という考えにマッチし、供養は死者への孝行として理解され日本に入ってきます。そして日本仏教をうけいれやすくするために、さきほどの古くから行われていた「たましい迎えの行事」に「お盆」をかぶせたのです。おシャカさまの利他行のススメを「先祖供養」のススメに読みかえて、なかみはそのままでパッケージを「お盆」という仏教行事にしてしまったのです。社会が安定するにともない、この行事は慣習風俗として定着しより広まります。
○お念仏により毎日がお盆!
仏法は不滅不変の真実で、自己中心的な〈煩悩〉を越えて全ての命が対等に輝く世界を導きます。互いに敬いあい尊びあう世界。浄土真宗は、そういう「悟りの世界=浄土に必ず引き入れようとはたらく阿弥陀如来の願いを聴聞し信順する宗旨です。
お墓・位牌・精霊棚・迎え火等のアイテムの必要なくまた夏の一時期のみに「死者を想う」のでもありません。我が直系の祖先のみを大切に想うのでもありません。全ての死者はいつでもどこでも〈ナモアミダブツ〉の六字の声となり、私たちの命を支えるはたらきとなって既に私たちの元へとどけられていると知らされます。俗になぞらえれば「毎日がお盆」です。世間のお盆にあわせて、仏法への目覚めを通して人に生まれた喜びを味わう機縁とするので「歓喜会」と申して法座を行います。
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人らしさの原点が、霊を意識することなんですねぇ。俗人として、日頃忘れているものを、辛うじて行事の折りに思い出して取り繕い、安心を得ているようでお恥ずかしいのですが、ありがたいことです。
2006/8/15(火) 午後 3:14
「霊」とか「魂」とかいう命名が、それを存在させるわけです。これが人間のおもしろさですね。言語を使わないネコや犬には「霊」はないのですが、人間の側は動物霊までつくっちゃうんですねえ。
2006/8/19(土) 午後 2:18