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「だからね。ほら。お日さまが出てるでしょ。だから、まだお仕事の時間じゃないんやで。」
エガちゃんの懸命な説得が続く。
いかん。ぼーっとしてる場合やない。昌子さんが起きる時間だ。昌子さんの毎日には決まりごとがあってそれがきちんと順番どおりに遂行されないと、混乱して不安定になる。目覚めるとお布団をきちんとたたんでトイレ。それから時間をかけて洗顔し丁寧にメイク。それから、お仏壇の前にすわって南無南無とお参りをして朝ご飯となる。
でも今日は文さんがもう起きちゃってるから、洗面所が大変だ。エガちゃんは説得の方にエネルギーがいっちゃってるからきっとそのままになってるぞ、ヤバイ。
慌てて下に降りて洗面所へGO。わ、昌子さん。廊下ですれちがう。何処へ?トイレに向ったことを確認してほっとする。急いで、洗面所の整理。出しすぎた歯磨きチューブ。ひっくりかえっている歯ブラシケース。びちょびちょになった足拭きに洗顔タオル。それらを整理し新しいものに入れ替え、汚れたものを洗濯機につっこむ。最後に昌子さん専用のお化粧箱の汚れをぬぐいピカピカに磨き上げると、ちょうど昌子さんが。間に合った。
ゆっくりゆっくりと歯をみがき、顔を洗う昌子さん。「僕が見てますから」とまっちゃんが車イスをきしませて来てくれた。まっちゃんは入居者だけどスタッフでもある。〈そよ風のように街に出よう〉とは一時マスコミも取り上げてくれたフレーズだが、その運動のど真ん中にまっちゃんはいた。『サンチョパンサ』という雑誌を主宰し、関西の「障碍」者が社会に認知されるようにと獅子奮迅の活躍だったそうだ。
エガちゃんにとっては神様みたいな人らしく、初めてここで対面したときにはサインまでもらってションベンちびってたと思う。
オレもこの人には教えられる事が多く、このベースの実質運営者といってもいいほどなのだが、どうして生まれ育った京都を離れてここへ入居しはったなかは未だに謎である。
「昌子さんきれいやねえ」紅をひく鏡の中の昌子さんにまっちゃんが話しかける。昌子さんの表情は真剣そのものである。そして、化粧している時の昌子さんが一番美しいとオレは思う。
「バニさん、隈取って知ってはる?」
「あの、歌舞伎役者が入れる濃いマスカラみたいなやつですよね。」
「うん。それね、戦争用やったんよ。」
「え、戦争?」
「古代中国ではね。目の上下にイレズミを入れてね、こう目が大きく見えるようにするん。その目の上にイレズミを入れた姿が〈眉〉っていう漢字やねん。」
「へえ、それで。」
「そういう女性をね、1000人ほど軍隊の先頭に立ててね。まず敵を睨ませるの。それが〈見る〉の語源。だから見るということは、相手の本質を見通してお前の全てをこっちは知ってるぞどのような手を使っても全てお見通しだ、ってことなんや。」
「じゃあ、古代の戦争ってにらめっこですか?」
「ははは。そう言えばそうなるねえ。武力で戦うなんてことは後の段階なんだね。お互いが目力で相手を呪縛しあってそれから戦闘。だからね、勝った方は相手を自分の側の奴隷にして支配するんだけど、最初にすることが目をつぶすこと。これが〈民〉ていう字。」
「ぎょえ。そうなんですか。知りませんでした。」
「昌子さんのお化粧を見てるとね、それを思い出すんだなあ。」
思わず、「殿、御意でござりまする」と言いそうになってしもた。でも、そう言われるとそういう迫力あるよ。昌子さんの朝の儀式?は、DNAの中に受け継がれた古代のシャーマンの息吹なんだろうか。
「ボー、しごといきあす」「ううん。ちがうよ」「でも、しごとえす」とうとう玄関での押し問答になってる。作業所に出勤する武さんやフジコさんも起きてきて何事かと集まってきた。
「じゃあ、後お願いします」とまっちゃんに昌子さんおお世話を頼んで急いで玄関に向う。文さんどうしちゃったのかな?
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この「見る」戦争の話、どっかの本で読んだことがあります。宮城谷昌光氏だったかなぁ。面白いと思いましたね。民の字源は初耳でした。
2006/8/22(火) 午後 5:37
物語は「もの」が「かたる」ので突然沸きます。たぶん白川静せんせの薫陶であったと思いますが…。
2006/8/25(金) 午前 0:49