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すっかり右傾化して、かつての保守本流がリベラルに思えるこの頃。夜間の生徒さんと、「優生学」を学ぶ。 オーストラリアとアメリカ大陸の一部にしかいない「有袋類」。それらと真獣類(われわれ人類と同じ)に単孔類(カモノハシにハリモグラ)で、哺乳類は分類される。 かの有名な大陸移動説とダーウィニズムから、有袋類←→真獣類の生存競争により、他の大陸では有袋類が滅び、オーストラリアのみが真獣類がいなかったので、有袋類の天国となったと考えられている。 その説の根拠となったのが、フクロオオカミの絶滅。1930年代を最後に生きたフクロオオカミは見つかっていない。それは、アボリジニがポリネシア・ミクロネシアから移住してきたときに連れてきた真獣類の「ディンゴ」と生態が競合し敗れたためとされている。 生き残る種は生存競争により、新たな習性を獲得したり身体機能を進化させてきたと、考えられた。 問題は、ここから。この仮説を人間社会に適用する学者が出てきたのである。「人間も競争により進歩する」という思想。 生徒さんのSさんは在日韓国人。授業そしつつ「なるほど」を連発。フクロであかちゃんを育てるのは「人間も未熟児として生まれたら入れもんにいれて大きするや炉。あれと同じやなあ」と納得されていた。 「じゃあ、人間も生存競争したら進歩するという考え方はどう?」と訊ねてみた。 「やっぱり、競争すると進歩するんとちがう?」と反応されたが、もう一人のHさんは幼い頃に競争からハミられて学校へ行かなくなっただけに、「ウチはその考えを人間にあてはめるのはちがうと思う」と反論。 実はねえ。わかった事実を組み合わせて、過去に遡って結論を出すってのは危険なんだよ。と話す。科学の落とし穴であり、仮説と真実の区別をする大事な部分なのだが、エセ科学はこういう論法に人を誘導するんです。 「あのね。日本が朝鮮を併合したでしょ。そのとき、大きく二つの考え方が流行したの。一つは日鮮同祖論。もともと同じ民族でありそれが一つの国になっても不思議ではない。二つに分かれていた民族がここで融和するのだが、その際より優秀な民族の方がリードするのは当たり前ってね。」 「もう一つは、世界戦争論。人類は戦争することで進歩する。優秀な民族の国家が劣等な民族の国家を滅ぼして統一していく。日本はドイツと同盟するんだけれど、ドイツがヨーロッパアメリカを従えて白人国家の頂点にたったとき、日本がアジアを統一してそのリーダーとなり、最終的にはドイツと日本で決戦するっていう考え。これが日本は神の国であり悠久の歴史をもつ独立国家であったという、神国思想がくわわったときに、日本が起こす戦争は全て、正義であり生物の進化法則にしたがう必然の戦である、こう論じられたんです。」 事実として朝鮮を併合し中国をも支配しようとした日本の意図はこのような、科学の装いをもったまことしやかなナショナリズムにより真理とされた。そうしたのは、国民の側である。それは同時に、超前人や中国人を劣等な民族と見る「民族差別意識」を生んだ。 もちろん、同一種内で進化した形跡は人類にはない。深海で暮らせるよう身体機能が変わったこともないし、SFではあるがミュータントという一部人類が習性を変えて「攻撃的習性」をもつ種が登場したこともない。これらの理論は、人類が居住範囲を広げ例えばアメリカパイソンの居住地を奪い絶滅に追いこんだことの説明にはなるが、アメリカシンディアンを白人が虐殺していいことにはならん。それらは、みんな後付づけという合理化。客観性も再現性もないので「科学」ではないのだが。 これらのエセは、例えば梅棹忠夫のすみわけ理論等で克服されたと見えていたけれど、大東亜戦争肯定論が若者の心を捕らえると、情緒的に復活している。 幼い頃から苦労して生きてこられたSさんの目には涙が光る。「ああ、今日はええことを習った。エエ勉強したわ」と。 日本なるものを私は愛するが、それは人類を愛するごとくである。夜間で生徒さんからそれを教えてもらっていると言っても過言ではない。
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学びの家





生物から生存競争は避けられないかもしれないけれど、人間には知恵や理性や科学があるはず、それを逆方向に使ってるような気がしてなりません。真っ直ぐに見る目はどうしたら養えるのでしょう?
2006/10/16(月) 午後 1:47
大東亜戦争肯定論は「復活」したのではなくて、たぶん戦後民主主義が必然的に呼び込んだ結末だろうと思います。戦後教育は「国家」ではなくて「個人」を中心に行われてきました。で、この世代が初めて「国家」を意識した瞬間は「謝罪と反省」を近隣諸国に求められたときだったと言えるでしょう。それまでは「国家なんて、関係ない」と思っていたのが大多数のはずです。
2006/10/17(火) 午後 4:55
ところが「自分が生まれる前の出来事に反省を求められる」という事自体が、戦後教育の文脈の中ではあり得ません。そりゃ差別ですから。今の政府が、とにもかくにも「民主国家」である限り、自分が責められていると思うのは避けたがたい。ここに憤りが生まれる。歴史認識問題が、実は戦後生まれの個人にとっての被差別問題であり、戦前思想とは異なるスタンスから生じざるを得ないことは指摘されて良いのではないでしょうかね。
2006/10/17(火) 午後 4:59
国家であれ会社であれ、共同幻想を束ねる形での自己同一性の担保、これが現在の「中韓に対する感情」でしょうね。そしてそれは自我の拡大(無批判の)の全面肯定という戦後の路線の帰結であることも承諾できます。しかし、そのような酩酊にも似た国家と自己との同一感を「公」とする路線こそレイシズムと相互補完関係です。
2006/10/19(木) 午後 11:06
だとすれば民主主義はファシズムの温床であるという仮説を実験していることになりますね。ネットコミュニケーションの可能性は、むしろ政治や経済などのマクロをあくまでもウォッチングする立ち位置であることにあると考えるので、若いブロガーやBBSの書き手にその「距離感」が欠如していることを危惧します。
2006/10/19(木) 午後 11:10
北を抑止しランディングさせるのに中国と韓国の力は必要条件。それらは政治レベルの話です。加害者としての歴史を共有させられるという圧力に対しその不当性を指摘することは可能です。しかしそれは加害者ではないという論理のみではない。中日韓朝は世界史的に、共通の被害者であったという認識も可能です。それは植民地主義を支えたレイシズムというものを超えて行く言語と思想でないと辿り着けない地平だというのが私の視座です。
2006/10/19(木) 午後 11:20
私は、現在の状況は「個」の無定見な拡大が招いたもので、決して「公」の視座によるものだとは思えないのですよ。レイシズムというよりも、タダの「俺様主義」です。だから、実は中韓の反日行動が収まれば、彼らの右傾化発言もたちまち「ポイ捨て」になる運命だろうと思っています。本当に保守的な思想を展開している人もいますが、それはごくわずか。大部分が「ただの流行」であって、そのうち飽きられるだろうと思います。。。
2006/10/20(金) 午前 9:34