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「一人はみんなのために。みんなは一人のために」
ボロクソに批判された「平等主義」として。競争させない学校。そういうフレームで。そして、学校にはエゴが持ち込まれるようになった。
だが、幼年期から少年前期にはその存在を支える母性的集団が必要なのである。そうしないと情緒というものが発達しない。そういう教育理論を踏まえた上で、集団主義は主張されたしその実践における「行き過ぎ」や「思想統制的指導」については、教員内部での熾烈な批判もあった。
そこで、私の知る限りで易しい解説をしてみたい。
まず、小学校。「クラスのお友達は兄弟姉妹」「先生は学校のお父さんお母さん」です。という位置づけで学校生活の導入をする。このとき、担任は「学校という未知の世界を案内するナビゲーター」でありつつ「未知の世界にとまどい怯える子どもの保護者」という2面をもたなくてはならない。どちらの側面が強くなるかはメンバーに合わせて変化する。決して「私はこういう方針です」と固定してはならない。
子どもたちには事あるごとに小集団で同じ仕事を取り組ませて、うまくいったら「みんなが力を合わせたからだね」と集団の価値をふきこむ。また、トラブルが発生したら「みんなで知恵を出し合えば乗り越えられるよ」と励ます。こうして、清掃や整理整頓という個人の仕事をみんなで助け合わせる。お互いにありがとうという事を教えつつ。
これらは、言語をもたない子どもに行動させそれを言語化することで方向性と意味を与えるという、大切な指導であり、私たちは俗に「ふきこみ」と呼んでいた。
国語の時間に教科書を声に出して読む、ということだって、初めは必ず集団読みで行い一人で読ませるまでに、いくつものステップを作成して弱い個を支え自信をもたせるように配慮する。そしてうまく読めるための練習タイムを設けて、力のある子にモデルやコーチをさせ、一人ひとりの読みを確かにする作業を小集団で取り組ませる。そして一人の成功を「みんなのおかげやねえ」と集団をほめ、いい仲間やねえということを繰り返し語る。
教科指導の価値の上部に、集団観を育てるという価値を置くのです。これが集団主義指導の原点です。言い換えればあらゆる指導場面で、子どもたちに人間は一人では「生きていない」、社会で生きていく存在であるということを教育し人と支えあうことを全面に押し出します。
こういった指導大系が確立している学級では、ケンカや仲間はずれが起きたときには最低立ち止まれる子どもが育ちます。支えあうことが当たり前でお互いが「おかげさま」と評価しあうことが普通になると、子どもたちの方から「○○さんの様子がおかしい」とか「○○くんがいじめられてる」とか「○○さんがブタと言われて泣いていた」とか情報が表面にでてきます。
いじめはなくならない(文化ですから)ですが、その芽やきざしを「子ども自らがつんでいく志向を育てる価値体系」を学校が提示することで、動的な意味で「いじめをなくす取り組みをしている」と言えるのです。
そして何よりもこのような指導大系が1学級に終らず、学校全体のものになるには、職員室の教職員の人間関係がそのように志向されていなくては無理です。学年教師集団づくりが欠かせないのです。そしてそれらを統括していくのに、藝能教科担当教員や養護教諭や学校事務職員の存在が重要になってきます。
このとき校長や教頭が、先生たちの担任の仕事をすることになります。下らん書類や会議に呼ばれて、学校外のことに気をとられるよりも、A先生が体調悪そうやなあとか、B先生は恋愛で悩んでるなあとか、先生たちの状態を把握し読み込んで、あなたのおかげで学校がうまくいっていると自信をもたせつつ教職員集団づくりを行わなければなりません。校長は教職員の保護者役を任されるのです。
こういう話はとても、前近代的ですね。ここでの集団主義は擬似家族主義です。小学校ではこれが大事なのですね、学校ではみんなが家族ごっこする。大人ですから「ごっこ」と承知して。これで実は日本の教育はもってきた。
ところがこれが今、攻撃対象になり嫌われる。第一保護者や子どもの側が、担任は学校のお父さんお母さんという位置づけを承認しません。これがないと苦しい。よその知らんおっちゃんが、ああせいこうせいと言ううるさいなあ、となってしまいます。また、80年代以降に成人した担任の側にも、集団主義思想はありませんから、そんな重たい仕事はかなわん授業をする人でいい、と忌避される。
こうして私の記憶では、おそらく10年以上、「集団主義」とか「一人はみんなのためにみんなは一人のために」とかを、単なるスローガンではなく、主張し実践する声を聞かなくなりました。
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なるほど。一番小さい社会集団は家庭ですものね。道理ですね。そして小さな子供にもとても分かりやすい、一番幼い者に分かりやすい事は、正しいに違いないと思います。
2006/11/21(火) 午後 2:54
昔、中学校で校長による教職員イジメを目の当たりにし、憤りを覚えた記憶があります。ちょうど10年程前のことです。少し外れますが、TBをひとつさせてください。
2006/11/21(火) 午後 6:58
kiriyonさん。家族主義は今の時代にも戦後民主主義的価値からも否定され葬りさられようとしています。しかし、人間というものはバウムクーヘンのように螺旋を描いて成長深化していくものだと私は考えていますから、エゴも家族主義も一通り潜り抜ける必要を感じます。
2006/11/24(金) 午後 1:08
あなろぐおばさん。TBありがとうございます。「いじめ」が第3のピークになっているという事です。おそらく地方都市の「都会化」が完成したのでしょう。
2006/11/24(金) 午後 1:14