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昔、村人や近隣共同体の心性とは、全く矛盾する行動をとる者が出たら、「○○憑き」といって、動物霊の仕業にした。
これらは、人間の行動や心性というものが外部の作用に対する反作用でかつ、その人のノーミソで「意味」が加工されたものであることを、現代の私たちに証明する。
古来、共同体からの「逸脱」は起こるべくして起こるわけで、それらを全て異常としていては共同体からの脱落者ばかりになる。だから一時の異常であると処理するために、「憑き物」であるという認識と「憑き物落し」による共同体への復帰を保障したのである。
平成の日本にも「憑き物」がある。そこで、憑き物落しがいる。その第一が「アメリカ水準」である。
それはアメリカといいつつアメリカなのではない。私たちの脳が加工した「アメリカ」である。
その「アメリカ」は、能力のあるものが正当に評価されそれに応じた配分を得ることができる社会である。また、きちんと自己をアピールし表現できることに大きな価値をおき、協調よりは前進を尊ぶ冒険的な空気に満ちたエネルギッシュな社会である。
こんなことを頭の中に描くということは、キリンが憑いている。キリンが憑くと背伸びして高いところのものをとろうとろうとする。結果として首ばかりが伸びていく。まわりの人を見下ろすことに慣れるが、その首の長さは重さとなってあなたを斃れ易くする。
この場合、早く憑き物を落とさないと「自らの重みで首が折れる」という恐ろしい事態に至ってしまう。
見下ろしているつもりになっているが、見下ろされているとは思わず「下草」を丁寧に刈り取りいただく生き物たちは、のんびりと日向ぼっこしたり水遊びをしたりして仲良くしているのである。首をのばすのを辞めればキリンの霊は落ちる。てんぱって能力開発なぞせぬことである。何もできませーーん、でも皆と仲良くするのは大好きでーーす。それでいい。
そうすると、アメリカなるものの真実も見えてくると思われる。何のことかわかる人にはわかる、不思議な話である。だから、「憑き物落し」であるのです!?
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