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佐藤惣之助という詩人がいます。といっても彼を純文学的な意味で詩人として知っている人は少ないでしょう。nazunaもひょんなことから、「えー、あの佐藤惣之助!???」と思ったのだった。 佐藤惣之助 紀行文「アリランアラリヨ」より 青き大同江のほとりに立ちて 何ごとと知らず涙そそぐは いかなる旅人のならわしぞ 大同門外 数尺の月によづべくもなく 秋風しろき乙密台のあたり さんさんたる星のみかがやける まこと幼子の如くあざらけく 古き世の冠の如く青さめて 小さき黄金星ぞかかれる あわれ、空しき望みぞ懸れる。 佐藤惣之助はかの萩原朔太郎の妹ムコ。1928年に朝鮮に旅行しこの詩を詠んだ。詩の景色からピョンヤンだと思われる。この寂廖感に植民地朝鮮の運命と悲哀を感じるのであるが。 また、日本でアリランが歌になったのは、1932年に佐藤惣之助作詞・古賀政男編曲による『アリランの唄』が最初だったという。「アリラン アリラン アラリヨ アリラン峠を越えゆく」と始まる。長谷川一郎と淡谷のり子がデュエットで唄った。 で、この佐藤惣之助の感性を通して、併合下の朝鮮や朝鮮人への日本人の視線を学んでいたのであるが。 な、な、な、な、なんと。彼は、古関祐而作曲の〈六甲颪〉こと「大阪ダイガースの歌」の作詞者であったのだ。 そしてそして、「泣くな妹よ、妹よ泣くな…」の〈人生の並木道〉、「山の淋しい湖に一人来たのも悲しい心…」の〈湖畔の宿〉、「やる思へばどこまでやるさ それが男の生きる道…」の〈人生劇場)、さらにさらに「泣くなよしよし寝んねしな 山の烏が泣いたとて…」の〈赤城の子守歌〉も佐藤の作品なのである。 もちろん彼も時代に生きた日本人であるから次のような詩もある 上海だより 拜啓御無沙汰しましたが 僕もますます 元氣です 上陸以來 今日までの 鐡のかぶとの 彈のあと 自慢ぢやないが 見せたいな 見渡す限り 銀世界 敵が頼みのクリークも 江南の春 未(まだ)しです 昨日も 敵のトーチカを 進みのつとり 占領し もぐら退治と 高笑ひ あいつがやれば 僕もやる 見てろ 今度の激戰に タンクを一つ 分捕つて ラジオ ニュースで 聞かすから 待つてて下さい お母さん 鉄カブトに弾がぶちあたって「自慢じゃないが見せたいな」とは、いかにもリアリティがない。おそらく即死であろうが。ただ911前のアメリカ人がそうであったように、戦場を実体験しないものの「感性としての中国での戦争」はこういうものであったのだ。さらにはそのようなノーテンキな楽天性を庶民は抱えていたわけで(なぜか倉本聰風になりました)。彼は空襲をほとんど知らずに死んだので、終生日本的感性の人であったと思われる。 これらがばらばらだったのが昨日、ふいに全て同一人物であることに思い至ったのです。nazuna的には「大発見や〜〜〜〜」でした。
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お寺のくらし




