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語呂合わせっぽいタイトル。 僧侶の原語は「僧伽」でソウギャ、と読む。サンガというインド語の音訳です。 それは広い意味では、お釈迦様の教えを聞く、あるいは聞こうとするものを意味します。もう少し狭くすると、この世界を統べるダルマ(法)に帰依する人々、人間のノーミソが創造する価値ではなく、既存のものとして与えられ既にはたらいている法に従う生き方を選択するものとなりましょうか。 小賢しい己の知恵やリクツを捨てて、仏法に帰依すること。それだけです。そのときに、他者に向かって明らかに「そう選択しましたよ」というのが、現代的な意味での僧侶かな。 で、自分ではそういう生き方を選択しても他者からみて明らかにそういう人だ、とわかるようにまではしない人だっているわけで、それは人様々。さっきいった広い意味でとらえると、いろいろな縁があって(ブログも僧です!)、仏法に関心が生まれたり知りたいと思ったりする人も、サンガですね。 みんなで仏道を歩く、その仲間がサンガ。で、僧侶とは「それを明らかにしている人」ですから、仲間からの信頼と要請に応えなくてはなりません。仲間が仏法について学んだり語ったりする「時間」や「場」を提供したり、きっかけとなる話題をふったり、そして何よりも仏法についてより多く学びそれに生かされる喜びを感じ語る。だから中心は、釈尊の言葉=お経を読むこと。さらに、その意を解釈したり味わわれた先達の言葉を読む。 大前提として、個人の解釈(己の知恵をふりかざす)は捨てる。 人の運命について左右したりする言辞を弄しない。己がお釈迦様と同じ「ブッダ」であるというものしか、そんなことはできない。言い換えれば、「あんた地獄へいくわよ!」とか「霊が視える」とか「運命がわかる」とか、そんなことを他人に言えること自体が、仏道の否定です。とはいっても、やっちゃうんですね、人間は。それを煩悩と知らされるかどうかも分かれ道ですが。 トラバした記事が面白いので、次にその2つの質問回答につっこんでみましょう。
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仏教をカタル






