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日記というのはこっぱずかしいものですねと、振り返って思います。
ここしばらく、この内容が続いているのは、問いという言葉があってそれにこたえるというスタイルで考える作業がすすむということが、ライブだなあと思うからです。でまた、2問。
釈尊がおっしゃったように、「貴方の出した言葉を私が受け取らなかったらどうなるか」という、問いに問いで返すのが本来かもしれません。
1.「大無量寿経」は大乗仏教における創作、つまり、釈迦の考え方とは違うと思うのですが、この経典を信じる根拠は何ですか?
「大無量壽経」が創作であるという根拠と釈迦の考え方と何処が違うのかをご指摘ください。
2.日本人だけが、妻帯する理由、必要性はなんですか?ぜひ、わたくしめと、おばあちゃんをすっきりさせてください。
大乗仏典によれば、その初期からウバイウバソクと表現される妻帯し在世間の信者は存在しますが???サマナ(沙門)集団を財政的に支えつつサマナ集団のカウンセリングを受けていたものです。「日本人だけが妻帯する」という前提が???
インドの時代から、在家の経済的援助のもとで出家教団は成立していたのです。山中で精神修養的に飢え死に覚悟で修行するという事自体、釈尊は体験された上で否定されています。普通の日暮しをしていて仏道は歩めるということを示されたので、尊くありがたいのだと思いますが。
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わたくしごときにお答え頂き有難うございます(-人-)ナームー1.ですが、ではなぜ、大乗と上座部があるのですか?一乗と三乗について論争されたことはご存知ですよね?2.ですが、出家した方の妻帯についてですよ?在家の方ではなく。僧侶は「女性にも手を触れてはいけない」という戒律は最も重要な戒律で、インド、中国、朝鮮(日本の侵略によって若干変化)では、大乗、上座部とわず守られてきましたが?ということで、すっきりする教えを説いてください。おばあちゃんも待ってます。
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2007/5/9(水) 午前 0:25
どうも、答えをもって聞いておられる気がするのですが、誤解でしょうか?まあそれはさておいて。1については、「テキスト批判」という部分で触れたおいたと思います。テキスト批判には逐語批判と思想的批判があります。テキスト批判を「真仮偽」という独自の相判で行う浄土真宗ですので、その説明をしなさいということでしょうか。2については他宗のお坊さんが妻帯されていることについては受け持ちが違いますので、そのお方にお尋ねください。
2007/5/9(水) 午後 1:48
私の答えというか疑問は、なんで、みんなそれぞれ、色んな解釈するんだろ?不思議だねっていうことです。わたしは、仏に到る道は色々あるよって言われても、あと付けじゃないですかって思っちゃうのです。弁解に聞こえるのです。「水は低きに流れる。人の心もまた低きにながれる」という言葉があるそうですが、わたしもそれはある意味真理だと思います。結局、今の宗派、解釈がたくさんに分かれた事実というのは妥協の産物かなぁと。わたしは素人ですから、そうじゃないよと、理路整然と教えを説いて欲しいだけなんですけど…だめですか?
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2007/5/10(木) 午前 1:08
1.については、おばあちゃん、理解できないですよぉ。もっとしんぷるにお願いします。「創作」という言葉が気に触ったのであれば、訂正します。「大無量壽経」が、お釈迦様の仏教と同じだとnazunaさんが信じる根拠はなんですか?2.については、言い直しますが、「女犯戒」を日本以外のほとんど国の仏教徒が守っているのに、浄土真宗の方はその事をどう思っていらっしゃるのですか?
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2007/5/10(木) 午前 1:16
最初のお話についてですが、これしかないという提示のしかたはそれ以外を排除しますよね。だから自分の人生を棚にあげて眺めたら「いろいろある」ということです。自分の人生は1つしかないので、したがって自らが選んだあるいは仏に選ばれた宗派が仏教であることになります。
2007/5/10(木) 午後 7:46
2つ目のお話ですが別に創作と言う言葉が気に障ったことはありません。大丈夫ですよ(笑)。経典は全部釈尊以外の誰かの創作ですので。親鸞さまにおける歎異抄のように「聞書き」の評価は別れますね。今度の質問の角度の方が答えやすいかもしれません。
2007/5/10(木) 午後 7:54