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nazunaはお寺に生まれましたが、街中の小さなお寺ですから父親は学校の先生をしていました。お祖父さんやお祖母さんや父などから、仏教のお話や浄土真宗のお話を聞かされたりお勤めをいっしょにすることで仏教になじみました。
でも、普通の公立小学校で過ごしましたから、テレビっ子で野球少年でどちらかというと時代の文化つまりアメリカ的なものやキリスト教的なものを「かっこいい」と思っていました。ある時期からお寺や仏教そのものがすごく時代遅れでかっこ悪い古臭いものだという印象を持ったのです。
ですから、世間から期待されるような禁欲的で教えに純粋に生きるというイメージの仏教徒ではありません。今でも。中学生のときにはお祖父さんが往生して、お参り手が無くなったので法衣を着て近所の門徒さんの家に月参りに行かされました。アルバイトです。お小遣いがもらえるからいきました。
父は住職になりましたがお寺としての収入が少なくて、子ども二人を大学にやるのに不安があったので兼職をしてやはり学校の先生を続けていました。いい成績をとって公立学校で進学する。それが一番のことと、子ども心に思っていました。弟もそう思っていたようです。習い事は一切しませんし、おもちゃを買ってもらうことはなく父のものであるクラッシックのソノシートを蓄音機で聞くことと本だけはたくさんあるので読書が趣味になりました。
全く宗教的に価値のない子どもが、やってきてお経を読む。そしてお菓子やジュースを飲ませてもらってお布施(お金)をいただく。世の中が高度成長期であって甘かったのでしょうか?それにしては不思議だなあと思いつつ、中学3年生からは友達とバンドを組みフォークロックスターを夢見ていましたので、楽器やレコードやPAを買えるので、言われるままにお参りしていました。
おそらく多くの方が批判されるように、お参りしてもらう側は誰がということではなく、僧服を来た人がやってきて「お経」を読んでくれることを求められていたのでしょう。命日参りをするということは、家で祭ってある聖なるもの、祖霊に本来それに仕え対話できる存在としての専門家に来てもらって儀式をしてもらうことで1ヶ月の安心を得る。そういう心情が大勢を占めていたのでしょうか?
そのような僧俗の現状を葬式仏教といいあるいは先祖崇拝といいますが、戦後まだ20年。国家神道という慣習化した宗教観は強く、そうであったとしても無理も無いと思います。しかし、中には必ずいっしょに勤行されご文章を読まれる門徒さんもいらっしゃり、そういうおじいさんおばあさんが後ろで熱心に念仏される声を背中から聞いていました。
やがてバンドは解散、多くの挫折にアレルギーも出て最悪の思春期を迎えます。ビートルズの歌詞や映画を見ながら、キリスト教に関心が高まりますが、聖書のお話や教会での説教にはどこか違和感を感じてしまいます。創世記の説明とか処女受胎とかは「そんなわけないやろ」という感じでつっこみたくなる。
さて前置きが長くなりましたが、そこで仏教再浮上。まず無神論であることに共鳴しました。さらに、法と人間という措定のしかたによって、全ての人類がブッダになれる可能性をもっているという平等感。それは逆に言えば釈尊だけが特別ではないことになり、教祖信仰と一線を画す。
そして、今苦を抱えているものへの緊急性という発想。抜苦与楽、そのためには苦の本質を把握すること。こうして四諦にいたる。苦とは外からくるのではなく内部から生み出される。私と言う意識がないと生きていけないのにその「私」という意識が苦のたねになる。自分の尾を食うウロボロスです。
そんな所に猛烈に興味がわきました。ですから、nazunaにおいて仏教か否かは、煩悩を否定していることと(つまり愛欲を肯定しないあおらない)が第一です。次に体験的に言うと劇的な感動(サポーターとしてみんなで飛び上がったワールドカップ初勝利!とかキャッツを観たときとか)とは全く質の違う、孤独であるが孤立ではない喜びを与えられること、実践的には八正道に説かれる真理への従属姿勢を継続していることすなわち「今正しく見れた」ではなく「正しく見れていないのではないか」という疑いを常に自己に対してもつこと、が判断要素です。
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はじるめまして 原始仏教徒のヒロシですよろしくね [http://blogs.yahoo.co.jp/nayameruhiroshi1/26427217.html
2007/10/16(火) 午後 7:47
こちらこそでありんす。
2007/10/18(木) 午後 9:06