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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫仏教をカタル

人が死んだあとどうなるかは、生きている人間の判断。個人がどう考えるかは個人の自由だけれど説得力がない。そこで一定の集団の共通観念が必要となる。そしてそれは、生きている人々の「何らかの手続き」によって、生み出され維持され継承される。


チベットの鳥葬や京都七野で行われていた放置葬は、遺体を動物に食わせることで「変身・転移」を観念していく。火葬になると煙が空へ上っていくので、変身転移に上方性とある種のエアー感がともないますね。


とんがったものや大木、鳥居や森など、そういった場所へ遺体を送ることで、「死」は変身であることを集団は確信する。

だから、「大文字の送り火」と「姥捨て」は同一観念上にあるのです。深い森や山を媒介にして、死者は肉体をもたない何かに変身する。そうすると時間と空間にしばられている(肉体があるので)私たちよりも、死者の方が超越します。

それが「カミ」という言葉や「ホトケ」という言葉で表現される観念なのでしょうね。


そしてこの場合、高温多湿である日本列島の自然条件が大きな力をもちます。遺体はすぐに腐敗分解しミイラになりにくい。お骨がきれいに残り易い。

nazunaは、「カミ」は上だと考えますし、「ホトケ」はホドケル=解ける、すなわちまさに遺体が分解していく有様であろうと考えています。

土葬=分解=洗骨=埋め墓。そういう手続きによって再生産され続けている共同体の観念があることを、共通認識としましょう。

  • 顔アイコン

    「ホトケ」は「ほどける」ですか!なるほど。日本人的には理解しやすい観念ですね。このお話は納得です。

    single40

    2007/7/27(金) 午後 7:18

  • なので、真宗者は困ったことになるというお話になります。

    nazuna

    2007/7/30(月) 午後 11:52

nazuna
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