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今日は、西成区の成人式の日です。
三女が、早起きして美容院に着付けにいき、おばあちゃんの心のこもった晴れ着を着てもどっていきました。
「胸苦しいな」といいつつ、嬉しそう。
この子が、ぜんそくで朝までうつぶせのままうとうとしていたときのこと。
学校に行きづらくなったころのこと。
わがままを叱り倒して、憎まれたこと。
いろいろと思いはめぐる。
父は朝からお逮夜参りと11時からの法事の準備でゆっくり、晴れ姿を見てやれない。
いそいそと友達と成人式に向かう娘を尻目に、衣を着て動き出す。
娘の方はバイト先やカレシといっしょにすごす予定など、びっしり。
その間に、近所のご夫婦が来寺。くるべきときがきたのであろうか…
「もういけませんねん」「腫瘍が呼吸中枢に回って…」
父どうしの会話。一方の娘は20歳の成人式を病院のベッドで臨終の床で迎えているのである。
しばし互いに絶句。胸が痛む。
同級生であった三女は、昨年再入院の知らせに、「顔をみてくる」と自宅へ寄せていただいた。
わが身を切られるよりも鋭い痛み。何かをしたいのだが何をしていいのかわからず、何もしてやれることがなくて。
親鸞さまの言葉が脳裏をかけ巡る。
「慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたれば、この慈悲始終なし。」
「そのときが来たら、いつでも連れて戻ってきてください。この本堂でお帰りと申しましょう」
そう申し上げるのが、精一杯でした。
南無阿弥陀仏。
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人間、ついには土に帰ると、アタマでは分かっていますが、いざとなると受け入れたくない心があります。そのとき、こざかしい理屈も建前もすべて無くなりますね。黙って帰るところを用意してあげる仏様の有り難さを思わずにいられません。
2008/1/15(火) 午前 9:47
浄土真宗、他力の教えに生かされて、たすかったと思うこと。それは、人間の論理や感情を超えた世界から響く声であるからだと思います。己の限界が知らせる。むごいことですが、真実であることがわかるから。涙チョチョ切って「生きる」ことができる。
2008/1/21(月) 午前 7:42
わがままな姪っ子の成人を祝った日、この記事を拝見して、胸が痛みコメもできませんでした。こちらでは、成人式会場に飲酒運転死亡者の写真展示があったところがありましたが、正直なところ、お祝いの日にと、複雑な印象を受けたのも本音です。わかっていながら、身近な死に接する機会にしか、思い知ることは出来ないのかも知れません。
2008/1/22(火) 午前 6:49