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いいえ、人事ではない。なにより自分が、私がそのことを生徒さんたちに展開できていなかったことを痛感させられた。 そこで、次の教科授業をつぶして、「中国文化しかもっていない日本人」の学習を組んだ。 中国において捨てられた経過。帰国事業と不十分な適応策。当事者が日本国籍を復活することによって、中国において既に形成されていた「家族」もまた日本国籍を有するものとなったこと。そして20代の孫たちは実際にはほとんど中国文化しか持たない。当然仕事の面では様々な不利益を受け、或いは事情に無理解な日本社会から露骨に差別・排除されるという二重の体験を、今、味わっている。 その彼らのうちのわずかがこの夜間中学にめぐり合い、お互いが遠慮会釈なく愚痴をいい共感しあえる時間をもつ。それが「基礎は基礎の人だけで固まっている」ということだ。 歴史は繰り返される。かつてこの「くに」は、朝鮮半島出身者を名目は日本人としつつ、実際は「チョーセン」と排除した。戦後社会では、かつての飯場やバラック、市場に終結するものを「朝鮮人は固まっていてコワイ。日本人と打ち解けない」と評したのではなかったか? あるいは、血統差別職業差別居住地差別と闘おうとした「被差別部落」やその運動を、「自分たちだけで固まる傾向が強い」「集団になったらコワイ」と評したのではなかったか? それらを肯定し弁護しようというのではない。もちろん目指すのは相互理解と協調であるが、それはこのような立場への共感と、そこからの解放を「共に歩む」覚悟があってこそ成り立つことではあるまいか? 当事者にならずして、批評評論することそのものが、狭く苦しい境遇のものにとっては「水をかけられる思い」はしても、決して安心や希望を生まない。 私の師、親鸞さまは「阿弥陀さまのお慈悲の光の中で、まさに石・瓦・礫(つぶて)のごとき我等が、黄金に仕立て上げられていく」(「唯信抄文意」より意訳)とおっしゃらえれのである。当時の価値観では、「罪業の深いもの」「秩序を理解せずに法を犯す悪人」「殺生にかかわる仏教の戒律をふみにじる救われ難いもの」とされた人々を、「我等=私も同じだ」と共感され、全ての命を等しく「仏の子」とされる、絶対他力が知らしめる価値を喜ばれたのである。 親鸞さまが導かれた地点、それは「あなたはすくわれる」ではなく「私がすくわれるのであるからもちろんあなたは問題なくすくわれる」という地点である。 それにしても、言葉や文花のカベを越えて行く地平は、容易なことでは拓かれないことを痛感させられたことでした。
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学びの家




