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明治維新になってこれらの制度は廃止されましたが、明治政府は「仏教に代わって神道、それも国家神道」に同じ役割をさせようと考えました。 「総氏子制と神棚配置の奨励」「神社の統合廃止と祭の復活」「神官の配置」等々の神道優遇策がそれです。そうしておいて廃仏毀釈として、全ての寺院活動を停止させ、僧侶の還俗(一般人への復帰、肉食妻帯の公認)を指示しました。こうして寺院の地位は低下し、にわかに歴史的存在としての神社がクローズアップされました。 しかし、西洋社会との接触により「信教の自由」を認めてキリスト教の布教を解禁せざるを得なくなったこと、さらに仏教やキリスト教とは違って神道には「文字化された共通の教義」がないこと、また「穢れ」意識により死亡から埋葬までの葬祭に神官がかかわれないことなどから、寺院や僧侶を政策的には排除できませんでした。 檀家制度のもたらした「葬式は寺で」「我が家の菩提寺」という意識、さらにその奥にある「人生観・社会観」としての佛教の根の力は以外に強靭でありました。 各仏教教団は、この困難な新時代に、佛教復興の教学を準備しましたが多くの「僧侶」たちは、それだけの情熱を失い、世襲化・特権化した地位を失うことにのみ汲々とするばかり。 急激な近代化西洋化が進む中で、教団も国家主義へと傾斜し、東西本願寺はもまた、個人の救済よりも国家目的に貢献する方向へと教団運営を行いました。結果、佛教界は「国家神道」と習合し、明治憲法国家に対して迎合・服従していく方向を辿ります。それは、個々の人生を支え導く「仏教」本来の有様から目を離し、教えを必要とし支えを求める大衆から遊離していく路線でした。 そのような有様は、1945年の日本の敗戦まで継続し、十五年戦争時には経典の記述や祖師・上人の言説を封印削除し、「聖戦の完遂」「敵を倒す」ことを奨励する教義を説きました。 あくまでも歴史を鳥瞰したわけで、これらを批判することは容易ですが、むしろ歴史過程の中での必然と理解すべきだと思います。 明治国家がやらなければ、西洋哲学やキリスト教文明と仏教界は、遅かれ早かれ直接に対決をせまられるはめになったと思われます。その場合、太平洋戦争ほどの死者は出さなくてすんでたでしょうが、宗教界は多くの犠牲を強いられたでしょう。そう考えると、近代化の中での「新しいレベルの仏教」の創出は痛み無しでは生まれ得ないものであり、近代化そのものを超えていく道すじとしての仏教に至る方向を見出すためには大きな生みの痛みが伴う覚悟が必要であるということになります。
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浄土真宗をカタル



日本の伝統宗教は、習俗となってしまっていて、いわゆる「宗教」としては退勢だと思うんです。だけど、じゃあキリスト教勢力が伸張しているか?というと、ぜんぜんそうではない。宗教でいえば、どうも一部の新興宗教だけが勢力を伸ばしています。アジア諸国における「近代化」について考えると、日本の統治が強かった(まぁ支配と言ってもいいです)地域では、キリスト教が弱いのです。例外は、フィリピン(大戦中、反日活動がもっとも盛んであった)ぐらいじゃないでしょうか?アフリカは、キリスト教が結構伸びているし、南米もそう。このあたり、どうも日本の近代化と関係があるんじゃないか?などと思ったりもするわけです。仮説がまとまらない、ただの思いつきですけれども。
2008/3/29(土) 午後 2:51
single40さま
「思いつき」でもイイセンかもしれません。たとえば日本の天皇制と一言でいいても、実にしたたかに多神教のよさをいかして時代に合わせて顔をかえている。一神教とはインターネットにおける検索ソフトのもっとも強力なもんで、本来はナビゲーションにとどまるんだけど、新たなデータ(外部との接触)が入るとまず排除する動きになるという特徴をもつ。お説のことはおぼろげながら同意します。ちょっと丁寧に考察するのもいいかもしれません。
2008/4/2(水) 午後 9:18