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毎月のお寺からの通信に連載しているお話を掲載します。半年休暇いただいたので、今月に10月分まで掲載します。 (写真は、関東ご旧跡。親鸞聖人、稲田禅坊あと、西念寺) 「神も仏もあるものか」などという、嘆き節がございます。この言い回しをひっくり返せば、神さまと仏さまは同じようなものとなりますね。
そうなっちゃたのは日本地域性と歴史のなす業です。「神仏習合」という言葉をご存知ですか?仏教は、日本ではまず仏像という形と経典という言葉で受け入れられたのです。だから、「生死」を巡る教えであるというその教示よりも、仏像を拝む行為や経を読む行為が、祝詞や祈りの姿と類似していたのでわかりやすかった。そこから「日本の神さまよりよりパワーアップした外国の神様」という理解で、受け入れら得ていくのです。 だから、最澄さんや空海さんが出られて、教義が確立し「成仏」を目標とする正規のスタイルが朝廷で公式認定されても、常にその礼拝においては神佛が同じでありえたのです。そこから、日本の神は、むしろインドの仏が東のはての国で、「神」の姿になって現れられたという説が生まれてきました。 こうして古来の神社にもお寺ができ、いえむしろお寺の住職が必要なときは神主を勤めることもありました。 そういう経過ですから、未だに神も仏もにたようなものだと思っている人はたくさんいますし、僧侶の中でも「パワーアップした神様」的ブッダを説く人もいらっしゃいます。 ところでもしも、仏さまってなあに?と、親鸞様におたずねすれば、「わたしの命の親さまやで」とお答えになるでしょう。一般に思われているイメージとずいぶん異なったお答えですね。いったいどういうことでしょう。(続く) |
仏教をカタル




