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前回までは内部の人間の目で描いた。 じゃあ外からみればどうか? 政策実施の立場でいえば、誰にも恨まれない政策なぞはありえない。少なくともそういうことは橋下氏は理解した上で行動、発言している。その覚悟はいい。 で、財政難で施策をカットする案を出した。職員の給与も減らした。 それでも財政の健全化を行わないと「金喰い虫」が府政にむらがる。実は地方自治体与党の某宗教団体政党なぞは、この30年、「庶民のために」とばらまき政策をすすめ、そのばらまきを成果として某宗教団体の信者獲得につなげるという恐るべき政教一致を行い、自己拡大をしたが自治体は軒並み赤字財政になっている。 今、知事与党として、彼らが静かに口をぬぐっておるのは、橋下氏はそういうことも認識した上で行動しているからであろう。 5.6.7月と本予算を目指す間、そういう感触と、極端から極端にブレるメディアの、橋下ちょうちんと夜間中学生救済の記事や番組に振り回されそうで、nazunaもコメントできなかった。 そしてこの間、この生徒の就学援助がなくなりそれはイコール、通学できない事態に至るということと自分たちの給与や待遇が一方的に削られようとしていることを、同じ視野において政治的に立ち向かいかつ、教育的にもふるまうという動きが、夜間中学の一部の教員を除いては見られず、それが府教委や各市教委を孤立させていることに、激しいいらだちを覚えていた。 一部で批判があるような、権利権利の組合運動、休み多くて給料多しという組合運動、さらには教育を手段としか見ない革命派や社会改革派(これが日教組だと喧伝され中山氏のような反応をうむ)の運動ではなく、それらを内部で闘いながら独自の路線で高い組織率を保ってきた、地域教組も多い。 現場の声を政治にとどけ政治や社会のひずみを受ける、子どもや家族のありようを教育を通して学び、学校づくりや授業づくりに生かしつつ(ソフト)、設備や仕組みなどのハードの部分でもモノ申してきた組織が沈黙していた。 渦中の生徒さんから「センセらも月給減らすて言われてんねやったら、私らといっしょに闘わんと」と逆に指摘される一幕もあった。 「モノいえば唇寒し」と頭を下げて橋下知事をやりすごすという、その情けなさ。実は「知事、あんた間違ってるぞ。」と立ち向かう官僚を、橋下氏も期待していたのではないか。 言うことを言い実績を示していくというあたりまえの仕事の仕方を示す気概を、財政難であるからこそこれだけはアカンと生徒や教職員や親たちの願いを背負って、「こらクソ知事、この予算は命かけても減らさせるわけにはいかんのじゃ!」という迫力を。 それが見えないいらだちが、9月の「クソ教育委員会」発言になったのではないかというと好意的すぎるか? 閑話休題。 財政問題だけでなく、外部の問題でいえば「義務教育保障」の論議の歴史がある。国は一貫して、夜間中学をイレギュラーであるとし、それは各自治体が判断してなさることと、判断忌避をしている。 世論の中には、「義務教育の保障は戦後のもので、戦前に教育を受けられなかったからといって保障する必要ないじゃん」というものもある。 さらには、法律上は「就学援助制度は市町村行政のもので、都道府県のものではない」ので、大阪府が今まで「就学援助」をしてきたことが間違っているという議論さえある。 さて、皆さんはどう思われるだろうか。(続)
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学びの家





私は基本的に自由主義者で、格差はやむを得ない、という考えをもっています。しかしながら、こと教育だけは別ではないか、と思っております。格差は「本人の努力と運の差」は仕方がないが、しかし教育だけはそれらの格差が生じる以前の「スタートラインを揃える」という意味があります。様々な状況において、特に義務教育を受けられなかった方々に「おくればせで大変申し訳ない」が、なんとかしなければならない。それは政府の存在する「最低限の存在価値」に抵触することではないのか?と思います。市町村ができなければ都道府県がやる、都道府県ができなければ国がやる、それもできなければ皆がやる、そういうものだろうと思います。
2008/10/6(月) 午後 5:17
政治におけるセーフティネット。結局は有権者・国民が、自分たちの有り様をどうデザインするかにかかる。そして実際の優先順位をつける。そういう議論がネット上でなされることが、広い意味での民主化運動ではないかと。その一環として「夜間中学」の問題をネットにのせる意義があると思っております。
2008/10/8(水) 午前 11:32