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ええまあ。よくやるねえ。という声も仲間からも聞こえてきます。 でもまあねえ、真宗のお寺は全国で2万ほどあって、僧侶やその家族を合わせると、7万人は超えると思うんですね。その人たちは当たり前のことですが、nazunaと同じで、 わけです。 だから、世間に疎くなる。いや本当に結構、外向きに生きているつもりの私でも「他力本願」という用語が、現状のように俗化し貶められて使用されていることへの認識が無かったですもの。 さらには、関西ではそれは「誤用」やでと言うと、少なくともお坊さんが言うと皆、「ああそうですな」と訂正されます。ところが、「辞書に載っているからかまわん」と注意した方がクレーマー扱いをされるという体験をしたわけですから、二重の驚きでした。 双葉社に最初電話したときは、著者は相当年輩だし歴史認識も高いと思われたので、「ああ、ちょっと筆がすべりました。すいません。直します」とすぐに直していただけると思ってたんですから。お人よしです。 で、この問題は相当根深いなあと理解しました。また、「ええもんはほおっておいても広がるのじゃ」「求めるものには門は開いている」というのは一面の真実でしょうけれど、こちらから開いていく努力や宗祖や蓮師のお諫めに反しない程度の、論争は必要ではないかと思いました。 そこで、辞書第二弾。三省堂さんです。3度メールしてお返事なければ、こちらで勝手に記事にしますよ。と3回目に書いて送るとやっと、返事がきました。「仏の顔も3度まで」にちなみました。(笑) ヤフーでネット辞書を引くと、三省堂「大辞林」と小学館「大言海」がでます。大辞泉は100%誤りですが、大辞林は正確です。ところが、 と説きます。 実は私見のうちでは、第一義に誤用を持ってきているのはこの辞書だけなんです。いえ『三省堂国語辞典』には、「(あやまって)他人の力に頼って事をなすこと」とまで説明される。同じ出版社でこの差はなぜか??? 推論も含めて質問しました。(続)
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住職、涙チョチョ切れる



お、これは面白い。なるほど、同じ出版社で、かくも違う原因は何か?という展開。是非しつこくやってください(笑)
2008/11/28(金) 午後 2:50