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今年、訃報を聞いた。しばらく寄席から遠ざかっていたので、残念な思いでいっぱいになった。
文團治門下生。陽が米朝一門に差し、陰となった文我・文紅コンビであった。
あれは、20年以上も前、ボクが新米教師で結婚したてだった頃。職員室には、保険のセールスの方がひっきりなしに訪れていた。「ああ、これが社会人になったっていうことなんだなぁ」と感慨深かった。
ある日の放課後、職員室のスミに少し頭の薄い長身の男性が立っていた。いつもの保険のセールスだなと、先生方の机の上に宣伝ビラをまく女性のいでたちを見て思った。
やがて、一人の先生が現れ「お待たせ」と、相談を始めた。男性はそばでとてもよい姿勢で立ったまま二人の遣り取りを聞いておられた。横顔がはっきり見え、「わ、文紅師匠だ。」と驚いた。
仁鶴・三枝が盛り上げた落語ブーム」が終わり、定席のない大阪では、噺一本で食べていけるだけの仕事が無かったのだろう。朝丸(現ざこば)や鶴瓶、が若手で、TVで売り出していた。その世代から見ると、ちょっと年を取りすぎて、つぶしがきかない。一番貧乏くじを引いた世代であった。
そんな事情が推察されただけに、声をかけるかどうか迷った。しかし、上方落語のサポーターとしては一言いいたい。セールスが終わって帰りがけにそっと「失礼ですが、文紅師匠ですか」と声をかけた。
そのときの恥ずかしそうな表情が忘れられない。結局、落語はいつやらはるのですか?という話になり、なんと国立文楽劇場での落語会の切符をいただいた。
「鬼薊清吉」の長口舌に、「こんな噺もあるんや」と目からうろこであった。講釈ネタのようだが、淡々と語りつつある文紅師匠の姿が消えて、一人の悲しき盗人が人生をさらしていた。もっともっと光があたってよい人だったし、「文團治」の名跡を継いでいただきたかった。よっ「五代目!!!」とネ。
それにしても、米朝・春團治御大に、仁鶴・三枝、五郎・染丸ら上方落語の中心人物には、長生きしていただきたい。また、「米團治」「文三」「塩鯛」「文之助」「松鶴」「松竹」「福松」「菊三」「菊枝」「正三」等の名跡を誰かに継がしてくださいな。ああ、「枝雀」「文枝」に、橘家も復活を!
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