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(元旦会の記念写真・2009) ★一月一日は、朝のお勤めで始まる。そのあと参拝者は阿弥陀さまの前で記念写真をとる。もう30枚以上もっておられる大先輩もいらっしゃる!? 写真のように家族三代の方も 年末から新年にかけて急に眼がいうことをきかなくなった。 まあ、言ってきかさなくても朝に目が覚めて、風景が映るのであるから、「言うことをきかす」という発想自体が顛倒したモノイイなのだが。 12月が結構予定外のことがあって、風邪をこじらしたりしつつもだましだましやってきたのがパンクしたのでしょうね。 親鸞さまのお連れ合いの「恵信」さんによれば、親鸞さまは浄土真宗(法然さまのおおせ)に帰してのちに、熱にうかされたときに 読経の供養によって何とかしよう という夢をごらんになって、目覚められたあとに「まあさてあらん」とおっしゃったそうだ。 思い通りにならんという事実に直面したとき、人はどうぞしてでもそれを否定しようとする。それが自力の信仰であって、自己の拡大として神様仏様を発明したとは唯物史観で語られた宗教像であった。 親鸞さまは 「昔、飢饉の中で死んで行く人々を目の当たりにして、〈読経の功徳で成仏させてほしい)という当時の通俗的な仏教理解に応じずにはおれず大無量寿経を千回読もうと思ったことがあって、ああ他力のご本願に逢わせていただきながらなんと浅ましいことかと中止したことがあったな。それをまた夢で見るとは、私という人間の本性はそんなもんだなあ(尊い仏の救済を信じられずに自分で自分でと煩悩を燃やすのだ)」 とおっしゃった。 これは恵信さまのお領解の中の「夫・親鸞さま」であるが。 nazunaも眼医者に行き、脳神経科へ行き、MRI検査を受け、と 自力解決まっしぐら。「脳腫瘍」の疑いありといわれたときはぎょっとしましたが、まあさてあらんとも。 結果、過去の脳梗塞時に〈斜視〉になっていて、それが若いうちは脳の方がなんとかしようと調整していたので乱視であるという認識だったが、疲労したり年齢〈老化)とともに、そのコントロールができない状態がでてきたということになった。 つまり、仕方がない、ということ。どうしても左右の像が結べなくなったら「プリズム眼鏡」というのを着用すればいいとのことであった。 「ああ老化か」と安心しました。「まあさてあらん」ですから。こういうとき、念仏者・親鸞さまの門徒である喜びを感じます。 少し休養をとってネットに向かう時間を減らしたので、少しペースをおとしてゆるゆるすればCPに向かうこともできるようになった。みなさま、またよろしく。
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住職、涙チョチョ切れる



こんばんは。しばらくです…。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。古記事にトラバ有難うございました♪♪
私もこの拙き人生の中で「まあ、さてあらん」と思ったこと、多々ありますね…。結局、自力は断てず…ということですね。しばし、真宗僧侶の中には、他力本願をして他宗派を表沙汰に批判される方がありますが、結局それが如来の“お用き”の邪魔をしているように思えてなりませんね…。
2009/1/27(火) 午後 6:56
こちらこそ。トラバのごあいさつ遅れました。昨年天岸浄円師とも話したのですが、「他力本願」という如来の側からのいただきものに対してなぜ修行もせんのに成仏できるのかという疑問を持つのが一般的です。だって、私たちの世間はそのように回っていますからね。ところが真宗の僧侶はその様な疑問をもたない人が多いのではないのかと。
まあ、日常の倫理というレベルですが、在家僧はダブルスタンダードで生きるわけでダブルスタンダードでることを痛いほど意識しつつ生かされていくのが本来かと。
蛇足でした…。(笑)
2009/1/28(水) 午後 11:24
今時分は、気候も良くありませんし、くれぐれもお大事になさってください。
眼、仕事のせいもあるのですが、この1,2年、急に弱った感じがあります。
私も、ゆるゆるですぅ。
2009/1/31(土) 午後 10:30
藍子さん、お元気そうでなによりです。拙文にも書きましたが「老化」といわれるとほっとする仏教者です。集中しての原稿書きはさすがに、復帰のあとも厳しいものがあります(涙)
2009/2/1(日) 午後 7:23
目玉そのものではなくて、脳の疲労のような感じですね。どうぞ、ご無理をなさらず。ゆるゆるまいりましょう。
2009/2/3(火) 午前 9:52
スローになると昔より時間がゆったりしています。1年は早いのですが、1日が結構ゆったりします。どこかで出家の風味も加わったのでしょうか?
2009/2/3(火) 午後 1:50