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(佐々木・上宮寺 三河真宗の拠点である) さて、少し丁寧に。 室町期に蓮師が教団を編製されるまで、浄土真宗という宗派は無かった。宗派と今かいたのは、蓮師が「御文章・お文」の中で、「聖人一流」と親鸞門徒であることを前提にして布教された意識である。初期には門主家の自意識とそれにかかわる親族集団とその信徒の意識であったろう。 一方そのころには、仏光寺という寺院に親鸞門弟の系譜を引く集団が形成されていて、専修念仏教団を形成していた。 これをふまえると(もちろん親鸞さま自体が天台僧であっったし)、覚信尼とその子覚恵、さらにはその子の覚如、そしてその子の存覚、従覚、あたりまでの自画像と社会における位置づけを考えるとき、既成仏教教団の意識と無縁に「親鸞教団」や「初期本願寺」を考えることはできないのである。 蓮如さまが、大谷本願寺を「親鸞一流の法脈」と「親鸞血縁の門主一族」を整理し、あるいは統合して、教団形成が社会的に明確になったとき、比叡山は「当流から逸脱している」と本願寺を責めた。そのとき、比叡山に大金を寄付して事無きを図った人物に、三河の如光がいる。 この如光の寺は、一昨年nazunaも訪問した「上宮寺」である。この寺が実は、如光の往生ののちに、妻の如順が住持になっている。さらにその相続住持として娘の如慶が蓮如様からも門徒衆からも認定されている。上宮寺文書にこれらは明確に残されているのである。 女性が住持になることは伝統教団においても尼寺があるように普通のことであった。が、それは持戒の尼集団の寺院であり、在家の比丘尼が門徒集団の求心的な存在である寺院とその住持となると話は別である。 家族の長として、このような姿を仮に「肉食夫帯の尼」と呼ぶと、こういう事実が蓮如期の三河に突出した事例であるとは考えにくい。 又前述した、天台教団(既成仏教)のパラダイムの中にあって、既に用意されていた「在家仏教」の具体的な有り様として、女性住持のモデルがあった。それが覚信尼である。この事実が教団形成史の中で薄められ消されていくのであるが、そこにどのような思想や社会制度のクビキが働いているのか、それを今しばらく追求していきたい。
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浄土真宗をカタル



上宮寺さんにそのような歴史があったとは、ついぞ知りませんでした。仏光寺もまた、“代務”とはいえ、歴代の中に尼公がおられますね。
2009/3/2(月) 午後 6:20
この項目は、西口順子氏の論文に刺激を受けてここ5、6年、考えていたことで3月7日に、ウチの壮年会例会で話す内容です。「真宗教団における男と女」というテーマです。
少し叙述に読みにくいところがありますが、遠藤一氏が学者さんとしてまとまった論考をなさっています。
nazunaはあくまで住職のプロを目指していますので、そういう専門的な議論をできるだけ平易に述べる努力をしているところです。ここでの原稿はその中間というか試論のレベルにあります。
2009/3/3(火) 午前 1:36