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「宗教なんて必要ない。人は死んだらしまいや。今が全てや」 TVで著名なジャーナリストが叫んでいます。今しか考えない。何か一生懸命なようで美しく感じますが危険です。刹那しかみない、歴史や因果の法を認めない考え方です。時間軸のない世界。何か永遠のようでイイ!? この世界に自分が生まれたことの因果を知らないなら、生きる意味を問うもともない。心身の欲するままに生きよ、ということになる。ならば世を嘆く必要はない。自己中OK! 他人のことなど知ったことか。 こんな生き方が理想となります。 これは「断見」という思想。仏教ではこれこそ「迷い」とします。 私はなぜここにいるのか、この苦の多い人生をどうして生きねばならぬのか。死ぬことが予定されていてそれが「今」かもしれないのに、どうして生まれたのか。「命」の問いは、人の話ではない。この私に向けられた問いであるのに。それを放棄する。それは熱狂かもしれませんが逃避であります。 「常見」とは自己を疑うことなく、日常生活のモノサシのままに、命や後生を見ることです。 3歳で小児ガン。病院しかしらないで死ぬ子ども。ああ可哀想にと思う。80歳を越えてギンギンのおじいさん祇園で芸者遊び。フグを喉に詰まらせてぽっくり。ああ可哀想にと思わない。いかがです? 無意識に人の生き方死に方に、私が価値を付ける。いい人生悪い人生。十分な死可哀想な死。 突然嵐は来る。あの阪神大震災は悪い事をした人だけを襲ったのでしょうか?可哀想でない人だけが亡くなったのですか?それらの問いは虚しく宙を彷徨います。生死は私たちの自己中心的な価値観を越えているが故に。 そこにまた自己中心的な答えを探すのが私たちの常態です。滅びが予想できず無慈悲に閉じられた行くヒトの生死を見るにつけ、「こんなはずはない。失われてはいけない」という思いがやがて「失われないものが存在するのだ」という観念を正当化します。 これが「霊」とか「魂」を実体化し不滅を説くという、原始宗教の始まりです。インドではこれが「輪廻」と説かれたのです。簡単にあの世に行くという。悪い事もしたけどいい事もしたから、また生まれ変わって人間になれると勝手に思い込む。誰もしりえない未来を自分だけは知りえるとあっさり信じる。耳に嬉しい言葉が大好き。厳しい現実は見たくない。 「死んだらしまい」という不安に対し、「魂は永遠」という回答。一見解決のように思えるが、仏教はこれを「病人の妄想」というのです。その永遠こそ「最大の苦痛」なのだと。 「生まれ死ぬ、その間に病と老化がある。それを幾度となく形を変えて繰り返すことが、お前の望みなのか。」オシャカさまはそう問われるのです。それは永遠の牢獄ではないのかと。 解説) ★弁円さまは親鸞伝に登場する、山伏' 善光寺聖たちの新たなリーダーとして現れた親鸞さまに その宗教的権威と勢力範囲を奪われて復讐鬼となる。 ★明法房とは、その弁円が親鸞門下となった姿 恨みを縁として出会って、何よりも念仏を喜び浄土往生した。 親鸞さまが真実の仲間であると、尊ばれた。 |
仏教をカタル







死後の世界はない、だから刹那に生きる。これは第一次大戦の後の欧州で流行したニヒリズム(神は死んだ)ですし、日本においても大戦後にアプレゲールが一世を風靡しました。しかし、死後の世界を肯定する考えも、また同じく無明であるということですね。
ただ、どう考えようと、確実にいつか死はやってくるわけです。これは、まことに困ったことだと思っていましたが、最近では、まんざら悪い事態とばかりはいえない、ということにも気づいてきました(苦笑)
2009/5/12(火) 午後 6:43
single40さま
御元気そうで何よりです。一時流行し、今でも肯定的に使われる「ポジティブシンキング」。それは底ぬけの楽観主義であることに日本ではなってしまった。未来に不安を持たず備えもしない。それでいえどうにかなるさ。どうにもならない30前後の青年たちといやというほど付き合う羽目になってます。
主観的ピンチを絶対客観の視点からチャンスであるとし、主観を捨てることを迫るのがわが宗旨であります。
2009/5/12(火) 午後 10:05
こんにちは。「断見」…目から鱗です。
自己中心的な答えを探す…これもまた然り。多分、それの繰り返しだと思います。崇高な宗教の教えもまた、自己中心的な回答を正当化させるために利用してはいないか、思い当たる事ばかりです…。
2009/5/13(水) 午後 3:56
ren'ohさま
お正信偈。「悉能摧破有無見」をモチーフに、寺報に書いた記事の元文を載せました。
2009/5/14(木) 午前 0:04
いい人生 悪い人生 で 検索中です
人生の良い生き方 を 昔の人が 問ている それを 勉強しておいた方が 徳かなぁ。得かなぁ。
永遠の牢獄になる輪廻〜。来世 現世 過去世 過去の行いが 現世にある〜未来世〜悪いことを しなくなるという点では いいのかなぁ。医学的 宗教的 魂と生命〜。
ノストラダムスの大予言 というのが 昔 流行って それを 信じている人がいて 人は死んだら終わりだから という観念を 持っていたのか〜でも その人 そんなに 悪いことは しなかったかなぁ
私には そういう観点で 話しを してきたけれど。
人生研究会(名前検討中 宗教研究会(名前検討中
[ 村石太マン ]
2013/4/19(金) 午後 4:16