前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、後に生まれん者は前を訪らえ。連続(れんぞく)無窮(むぐう)にして、願はくは休止(くし)せざらしめんと欲す。無辺(むへん)の生死(しょうじ)海(かい)を尽くさんがためのゆゑなり 道綽禅師『安楽集』・親鸞聖人『教行信証』化巻末 真宗の要は「信心決定」。いいかえれば、人生を成仏道であると目覚めさせていただくことである。自身が迷妄の中にいるものが、他者の人生問題に責任のある意見や理解を示せるはずがない。 だから、「先祖供養」などは仏教ではない。肉親といえども他者の業を解決できる人間はいない。生きている人間が(たとえ姿が僧侶であっても)、他者の死を自由に「成仏させることができる」などという戯言は仏教にはない。 (もちろんブッダであれば別である。しかし、現代日本にブッダがいらっしゃるのなら、何よりお願いして「北朝鮮の核問題」の解決をされたいと思うのは私だけであろうか?ブッダは永遠の命を生きるから、今ヒトの姿であることへの執着はない。ゆえに、たとえ「日本のスパイ」であると、銃殺されたり八つ裂きになっても、北朝鮮を救いにいかれるであろう。もしも、自分はブッダで死者を成仏させられるという僧侶がいたら、一度お願いしてみたいな。) しかし、仏教を通して「先祖への感謝」が育つことはありうる。それが、道綽禅師のお言葉である。 不思議な縁によって、仏法を聞き、阿弥陀仏の願の生起本末を知らされて、「この私がこのままに仏に仕立て上げられていく「歓喜」を得たとき、「ああこのことは、沢山のご縁を与えられて辿り着いた目覚めであった」と知らされる。 ご開山・親鸞さまは、このことを「たまたま行信を獲れば、遠く宿縁を慶べ」とおっしゃられた。 「父母」や有縁の人の病や死が、大きな契機となって、自分が仏様に手を合わせ、あるいはお寺へ参り、あるいはお説教を聞く身になっていたことを、先の仏のお導きであったのだと、目覚めていく。 いづれにせよ、私が供養する、などとはとんでもない思い上がりで、仏様の方から願われている身であることを、もったいなく、ありがたく思う。 永代経とは、そのようなブッダの無限の救済の構図の中に、私たちが既に位置づけられていることを、同門のもの(真宗では同行同朋)とともに喜び、それぞれの先の仏を偲んで行う、「合同法事」である。 6月12日、36名の方から「仏法繁盛・寺院護持」のためにご懇志19名のかたからの素供養配布、そして婦人会の方11名のご奉仕をいただいて、永代経(無量壽会)法要を、無事に勤修させていただいたことである。 参拝者、80名とともに、「昨年はこの席に、○○さんがいらしたねえ」「▽▽さんが、高らかに、お念仏されていましたなあ」と偲ばせていただいた。 ―父母も はらからもいます かの国に、私も行きます 遠からずして― 平沢興(京大名誉教授) (写真は、ミツバチの巣。お寺の中庭のクスノキのウロに大きなすがあった!そして、写真の2日後、見事に分蜂して集団移動した―母が目撃した)
|
浄土真宗をカタル



naznaさん、もしも今、仏陀がおられたら、この不幸な状況を解決すべく、自己の身のことは考えずに粉骨砕身なさるでしょう。私も、まったく疑いを入れるところではありません。
偽物が存在すること自体を、どうこう言うつもりもありませんが、偽物を本物と思いこむのは、やはり良くないことだと思っています。
2009/6/17(水) 午後 3:52
singie40さま
相変わらず、堅調なものいいを嬉しく拝見しております。どうも、大人たちに少々の想像力欠如があるようで。選挙にでるO氏の冗談のような本がまじめにベストセラーになるんで???
一昔前は、小松左京氏あたりが同人誌のレベルで行っていたネタが、表に出てきてまともに通用しているので、困ったもんです。
2009/6/18(木) 午前 1:19