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(首都の市長となったアルゲリョ氏 中屋一生氏ご提供) 長谷川穂積が左ストレートからの返しの右フックで、またも挑戦者を葬った試合を HDの映像でくりかえし見ながら、スポーツとしてのボクシングの進化と完成度を想う。 先日、ライブラリーから大場政夫の試合を4戦連続(ベツリオゴンザレス、花形進、オーランド・アモレス、チャチャイ・チオノイ)で見て、その感を強くする。 ハルさんに支えられた中卒青年の大場にとって、ボクシングはスポーツではなく、生活そのものであった。 大場に限らず、かつてこの国では、「拳闘」とはスポーツなんかじゃなかった。nazuna も自身が空手少年であったし(極真カラテ・大山倍達じゃ!)ニシナリ生まれで、中学生期はとんがった朝鮮中学や近隣の腕自慢との出入りも経験したから、仲良しには相撲部屋からスカウトされたやつもいたり。ああ、その筋の方のスカウトは日常なのでして。 で、そういうヤンチャな男の子にとって、「拳闘」は特別なスポーツだった。ぶっとばすことが合法的であってかつ銭儲けになるということだ。 たぶん、三要電機に勤めていた親戚の関係で、白黒テレビが昭和34年には家にあり、そのテレビで「ボクシング」を見ているのであるから、50年になるわけだ。 白井義男氏の試合は印象にないが、初期の原田・海老原・青木のバンタム三羽ガラスの試合をテレビで、そしてフリークであったやはり中卒で働いていた親戚のニイチャンに連れられて、桜宮スケートリンクや阿倍野体育館での4回戦。そして旧の府立体育館でのランカーの試合と、結構生でも見ているんだなあ。 グローブとワセリンの匂い、ときにはこちらの頬にまで、飛んでくる血飛沫を浴びつつ、そこで「夢」や「生きる理由」をつかもうとする強いエネルギーを感じたものだ。 しかし、ヤマドダマシイ、岡山のジイチャンバアチャンと叫んだ、ハワイ生まれのポールフジが、その生きざまを渾身の力でたたきつけるフックを空転させ、二コリノローチェの技巧の前に沈んだとき、私の中での「拳闘」が終わり「ボクシング」が生まれたのである。 そこから、日本人の試合に匂うものと、世界戦で感じる外交人ボクサーのたたずまいに、何か違うスポーツでもしている感じをもつにいたったのである。だから、沼田・小林・柴田・西城、そしてガッツ石松や輪島幸一を追いかけて試合を見つつも、どこか日本のボクシングの後進性に気を取られて夢中になれなかった。 その「違和感」のピークが、ロイヤル小林VSアレクシス・アルゲリョ戦だった。スーパーライトまでいく時期とはちがい、フェザー級のアルゲリョのアップライトな構えから、小刻みに体をゆすりつつのばすジャブとストレートのスピードと強さ。そしてロイヤルを悶絶させたボディパンチの鋭さ。 思いだけじゃだめなんだ。それを形にする想像力と創造力が必要であることを教えられた。 さらに、そんな中でテレビ東京やNHKが衛星で中継録画してくれる海外の世界戦が、放映されはじめ、 いよいよアルゲリョに魅了されていく。 TV観戦した中では、対レイ・ブンブン・マンシー二をベストファイトとしたい。 そして以外にも海外のジム事情や選手育成のシステムについての情報が入りだすと、今度はアルゲリョのファイトが無骨に思えてきたのである。どう無骨かというと、同じスタイルで繰り返しをいやというほど行う。ガードでパンチを吸収し基本的なジャブストレートで試合を組み立てる。アッパーでの見事なKOもあるが、マリオ髯につぶらな瞳のリングの貴公子は、その実愚直なファイターではなかったか。 ニカラグアという祖国とボクシング界での成功との間で、スーパーウェルターでのA・プロイヤー戦のように、相手の攻撃に身をさらし打たれ続けても前へ出て、最後は、前のめりに倒れたのであろうか?その意味では、やはりわれわれ敗戦国の「拳闘」に通じるものを、アレクシスは体現していたのかもしれない。彼のようにスタイリッシュで紳士的にボックスすることが、かつての大日本帝国の憧れであったのkましれない。 アルゲリョに魅かれて、ウィルフレッド・ゴメズやサルバトール・サンチェス、そしてデュランにレナード、デトロイトスタイルのハーンズと、80年代はサッカーよりボクシングであった。そしてそのことから世界の政治情勢にも関心をもつことになった。 彼と同世代であり同時代を生かされたことに、深い感謝の念を捧げる。
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