|
さて、八月。というと何がぴんとこられますか。子どもたちは夏休み。高校野球のシーズン?いろいろありますね。ビヤガーデンなんていう方もいらっしゃいますか。まあ、一定の年齢の方やはり終戦記念日を思われるでしょうね。 また「里帰り」「お盆」「お墓参り」と連想なさるかもしれません。いづれにしても。夏八月は死者を想う月というのが私の実感でもあります。こういう時期に死者を想うことを通して自分の生き方やあり方を振り返るということを祖先はしてこられたのでして、それは人間にしかできない大切なことと思われます。 ご讃題はご開山聖人、親鸞さまの言葉で、先ほど勤行させていただきました正信偈さまと同じく、顕浄土真実教行証文類、教行信証のご文でございます。 私は長男でして、弟が生まれたときに、入院中の母に代わって私をネンネコで負ぶい、あやして下さったのはおばあちゃんでした。そのとき、うとうとしながら見るとはなしに見ていた「夕日」の赤さが目を閉じますとありありと浮かびます。それと同時に祖母の背の大きさと温かさが甦ります。安心して眠っておりました。そうすると連綿と思い出が甦ります。お寺の旅行や最勝講の集いに本願寺さんや天王寺さんへのお参りに連れて行ってもらいました。(今朝もそのようにお参りいただいている、子どもさんがいらっしゃいますね。)この婆さんは面白いばあさんでして、(巡礼阿波の鳴門)で孫を泣かすのが趣味。私もずいぶん泣かされました。 こうして育てていただいたのです。もともと人間はネオテニーと申しまして「未熟児」でうまれてくるのです。ウマの赤ちゃんなどは生まれて数時間で自分の足で歩けますが、人間はそうはいきません。誰かに保護されないと死んでしまうわけです。「守られていた」「恵まれてあった」そんなこともわからないまま、祖母と別れてそのあと、やっとこさ今、少しずつ気が付いている。お恥ずかしいことですが。 さて、ご讃題の「ぐぜい」とは十八願阿弥陀様ご本願のことです。何度も何度も生まれては死ぬ、を繰り返して、そのあいだずっと命の親であるよとはたらき続けておられた。そのおはたらきを人間に知らせんが為に言葉の仏様声の仏様となってとどいてくださったお姿、それがナンマンダブツの六字であります。 その如来さまの親心が、私に届いた姿を「浄信」とおっしゃる。さらにそういうご縁にあずかることはめったにない有り難いことだと親鸞さまはおっしゃられるのです。ナンマンダブツは親の呼び声と古来言い習わされてきました。「だいじょうぶ安心してね。あなたの人生を共に生きるから」という声こそ弥陀の呼び声であると。 あの有名な物理学者 アインシュタイン博士が来日された折、博士のたっての希望で仏教の話が聞きたいということで、浄土真宗の僧侶である近角常観師が 博士と対談しました。 近角常観師は、お東の僧侶でして、ヨーロッパに留学されてキリスト教が社会に進出して様々な活動を行っている事に衝撃を受けられます。そして、日曜講座を始められ東京本郷に求道学舎を設立されます。後に京都大学工学部建築学科の創設者であられる武田五一氏の力を得て、「求道会館」を建てられます。 また、明治34年4月8日にドイツ留学中の近角氏が学生たちとともに、ホテルで金屏風の前に誕生仏を安置され花々で飾り立てて「釈尊降誕祝賀会」を行われたそうです。パーティや仏教講演会も催されたようですが、これを見たドイツの人々が「ブルーメン・フェイスト」と称したことから「花まつり」という名称が一般化したようです。 さて、そのときアインシュタイン博士がそういう近角先生に「仏さまとはどんな方ですか?」とたずねました。すると 近角先生は、おもむろに あの「姥捨て山」の話をはじめられました。 ご存知の通り 日本では、その昔 食糧事情の貧しい時代には、一定の年令になれば、年老いた親を山の中に捨てるという悲しい歴史がありました。村の決りですから、そむく事はできません。息子は母親を背負い、いくつもの山を越えて、人里離れた 奥深い場所へと向かいます。そしていよいよ、別れの時、母親が 息子に 「おまえは こんな山奥まで来た事はないだろう。迷わず家まで帰れるか?」 とたずねます。 「もうすぐ、日も暮れる。 私は背負われながら、来る道中に 手を伸ばして木の小枝を折っては、下に落としておいた。だから、通ってきた道には 必ず小枝が落ちている。 もし、分かれ道で迷ったら、小枝の落ちている道を選んで 行くがいい…。そうすれば、必ず里のわが家の灯りが見えるはずだ。どうか無事に帰っておくれ…」 と言って、わが子に手を合わせました。 ここまで話して、近角先生は、アインシュタイン博士にいいます 「この母親のすがたこそ、仏さまの姿であります」と。 母親は、山の中に置き去りにされたなら、山坂を越えて家に戻るだけの足腰はありません。 きっとその日の夜のうちに 凍え死ぬか狼の餌食となるばかりです。 そんな状況の中、母親は息子の心配をします。つまり 今、まさに自分を捨てんとするものを 見捨てることが出来ないのです。 自分を殺そうとするものを 生かそうとするのです。これこそ、仏さまの お慈悲だと言われたわけです。 終戦の日。多くの命が世界から失われてきました。私の祖母は昭和16年の戦争が始まったとき、盲腸炎の誤診で「腹膜炎」をおこし、当時の医術では最高水準の治療と薬で治癒させる予定になっていた、15歳の息子をかかえていました。12月8日には入院中でした。ところが、年明けには自宅へ帰されました。 「戦争遂行というお国のために、医者も薬も全て前線の為に使います」と。重篤な患者のベッドはないのです。戦傷者にためにベッドを空けなさいという国の方針です。 そして、長男はお腹の中を腐らせて、みどり色の顔になります。母として祖母はできることは何一つなかった。苦しみながら往生する息子の枕もとで、阿弥陀様の声を夫婦は聞きます。 「あなた方の苦と悲しみを私が全部背負うから」「今別れていく親子をかならずかならずわが浄土で再会させるから」と、声をかぎりに読んでおられる親の声でありました。 こうして、みんながお浄土へ生まれ仏に生まれ変わる道を「生かされてある」自分であったと、祖母は知らせれたのです。 私たちは、 とても仏さまのようにはいきません。自分を大切にくれる人を 大事にします。そうでない人は 粗末にします。あるいは、今 相手を 手伝って助けているのは、また今度 お世話になるかもしれないからっだったりします。 仏さまは、大きな大きな(こんな私たちの はかりをこえた)おはたらきでもって 私たちをつつんでいてくださいます。拝んだから、助けてくださる。拝まないなら、捨てられるなどと、私たちの小さな心で、仏さまの大きな心をはかってはなりませんね。 仏さまを 拝まない時も 拝まれていました。 拝まない人も、拝まれているのです。」 東洋のはてにこんなありがたい真実があったのだ日本にきて良かったと、アインシュタイン博士は感動され帰国された聞いておりますが、祖母もまた息子の命を通して、阿弥陀様の真実に目覚めたのでありましょう。 お盆があり、終戦記念日の来る八月。イノチは何人死んだという量ではありません。一人ひとりがかけがえのない命。それらがお念仏のご縁、仏法を得ることで、懐かしい人々は死者として遠い世界にいるのではなく、往生されて仏となって、今、ここで、私の命を支えてくださっているといただきます。 この夏どうかご家族で、人としてしか会い得ない、「多生にももう会いがたく億劫にも得難い」仏法のご縁を深めてくださることを念じます。では、最後に蓮如さまのお心を味わいます。 「孟夏仲旬の章」(略)
|
全体表示





はじめまして
ランダムからまいりました。
住職さんですか?面白い記事ですね。
[ - ]
2009/8/15(土) 午後 9:43
iriaさま
いらっしゃいませ。真宗のお寺では、このようなお話を聴くことが活動の中心です。大阪の下町のお寺ですので、いろいろとお話を工夫してやっております。
2009/8/15(土) 午後 10:33
こんにちは。
私も浄土真宗(西本願寺)の信徒です。
15日に地元(姫路)のお寺の戦没者法要に参加しました。
その際、金子みすずさんの詩を世に出された矢崎さんの講演を拝聴しました。
みすずさんの詩 「あなたがいるから私がある。」
普段のわれわれは私が中心ですね。目からうろこの思いでした。
いい日でした。
お寺が少し好きになってきました。
[ roseke ]
2009/8/17(月) 午前 10:23
rosekeさま
ようようおこしです。真宗のお寺は、お話(お説教・法話)を聞く集会所です。郁ら立派な伽藍があっても、お参りがなければ意味がないことです。矢崎さんのお話、私も北御堂で聞きました。みすずの人生は、世間のものさし、人間のものさしで測れば、「不幸」「カワイソウ」なのかもしれません。
けれど、阿弥陀様の御慈悲にあいお念仏の人となられて、素晴らしい詩を沢山残してくださった。生まれ甲斐を喜ばれたのでしょうね。
また、お越しください。
2009/8/17(月) 午後 2:23