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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫浄土真宗をカタル

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地球の上では、毎日、ひとが死にます。


病死、事故死、老衰死。突然死、覚悟の死、自死。


人が死ぬことを「不幸」「ご不幸」があった、という方がいらっしゃる。


ちょっと、落ち着いて考えてみてください。〈不幸〉の反対語は何でしょう?


〈幸福〉〈幸せ)ですね。死ぬ、の反対は生きる。なら、生きていることだけで幸せであると感じるはずですが?いかがでしょう。毎日、目があいて「ああハッピイ!」と喜んでます?どうも、そうではなさそうですが。


また、死ぬ=不幸ならば、全ての人は、必ず最後に〈不幸〉になることになります。 なぜって


「全ての人は、必ず死ぬ」。これは誰一人否定することのない、真実ですね。



あれれれれ??? なら、交通事故に合わない「お守り」。病気や死が避けられる「お札」。結局は、何の役にも立たないですね。


それでも、神社やお寺は、それらを製造し販売し続けています。詐欺ですか?いいえ、ちがうのです。


これは論理ではないのです。「まだ、死にたくないのだ」「不意打ちで怖い目にあいたくないのだ」という心情。こういう不安に対し、


お守りやお札に真実があるのではない。それが象徴する「安心」がとりあえずほしい



そうすれば、そのことによって 「ワタシだけは事故や突然死や難病、ガン宣告に会わないのである」と、〈不幸〉を忘れていられましょう。


このように、自分をだましごまかすツールとして御利益がある。それは、私における真実であります。そうせざるをえない、という意味で。けれども、自己の真実であってもそれは真理ではありません。


真宗、真実の宗教(よりどころとなる教え)と申しますならば、厳しいことですが、「死ぬことが不幸」というモノサシそのものがひっくりかえらなければ、真の解決になりません。「老病死」は逃れ難き真実である。そこから出発する「生命観」や「人生観」だけが真理です。


だからこそ、お釈迦様は「ブッダになろう=成仏する」ことを、目指されて実践され、その道を共に歩むことを、われわれにお説きになられ、勧められるのです。


そこで、「老病死」を巡る真摯な思考や感受を妨げたり、そのような志向を妨害したり課題意識を逸らすような思想をお釈迦様は「外道」とおっしゃり退けられました。


世間の人々にいかに望まれようと、どれくらいのニーズがあろうと、私たち浄土真宗は、この「仏道」へのいざないを妨げるものであると、自らの有り様から排していくのです。いえ、仏さまのおはたらきにによって、そういうごまかしの必要のない人生に変えられ育てられていくのです。これが念仏者です。

  • 顔アイコン

    私も「老病死」を語らぬものは宗教ではない、と思います。誰でも、逃れることはできませんからね。いかに、西欧合理主義思想であろうと「人はどうせ死ぬのだから、早く死んだ方が合理的」だとは言わない。どんなに「常に前向きに生きる」ことを礼賛しようとも、死を逃れることはできませんし、死ぬことは「生きているからできること」に他ならないわけですが「前向きに死のう」とは言いません(笑)
    論理を超えているが、しかし厳然とあるものだと思いますねえ。

    single40

    2009/9/1(火) 午後 1:49

  • 顔アイコン

    single40さま

    神戸の先生は、「喪失の予感」と表現されました。見事だと思います。これがあるのは人間だけではないかと。問題は、それに怯え、ごまかすのか。それとも、それがあることが「今」を輝かせると目覚めるかなのです。きちんとした宗教体系は、人生を最終的にはまるごと肯定するために構築されているのですから、後者に人々を導くものなのです。

    nazuna

    2009/9/1(火) 午後 5:36

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