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nazunaの伯母には、3歳で往生した人がいる。 峰子さん、というのだが、お腹痛をこじらせたそうだ。もっとも、O−157ではなかったかいなと、末妹の母はいうのであるが。 もともと、祖父祖母夫婦が家族旅行を計画していて丁度そのときに病気のようであったが、お医者から薬を出してもらって無理してみんなでいったそうだ。で、旅先で具合が悪化して、連れて帰寺したのだが手遅れであったそうな。写真があって可愛らしい。 これは夫婦の愚かさか?責任か?と、誰しもが言いきれるかどうか。一寸先は闇でもあるからね。 阪神大震災のときにも一瞬の判断で結果が変わった。知人は前夜に酒を飲んでコタツで寝込んでしまった。で、大揺れで半倒壊した家でなんともなかったのがコタツのあった居間。いつも寝ていた二階の夫婦の寝室のうち、彼の寝床の部分に上から大きな梁が落ちていて、カーテン付きの大きな窓ガラスは全て割れて、ベッドに降り注いでいたそうだ。 偶然助かったのである。さて、これは何かのおかげか? 彼は浄土真宗の門徒だから「阿弥陀様のご利益」か?はたまた、縁日好き(金魚すくいの名人だ!)だから、よく行く西宮戎さんのご加護か。 ある日突然、人生が終わる。これをよこから眺めていたものがこれに恐怖する。で、避けるために理由を求めるのである。こういうのが、占いや祈りになるのであるが。 問題は、突然終わることにあるのではない。また、偶然ラッキーになることにもない。終わったり助かったりすることそのものがアトランダムなのであるとうのが真実。そこに人間のノーミソを関与させるから話がこじれる。 鬼とは私のことか豆がまかれる 住宅顕信 鬼も福も全部、われわれが生みだすものである。どこかから来るもんでないんだわ。というのが白血病で夭折した彼の認識。 生まれるという選択をしてないんだからね、私たちは。死ぬことだけ選択できるなんてはずがないでしょうが! 自殺?それだって未遂者はその10倍はいるといわれるよ。失敗する方が多いってことね。そこんとこヨロシク。
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浄土真宗をカタル





ほんとに、そうですね。そしてこう言い切ってもらうととても気が楽になります。
今は未だ元気ですが高齢な義母の一人暮らしが心の隅で引っかかって居て・・・。
ゴリオジは「人知れず息絶えたほうが本当は幸せ、
中途半端に構われて長く不自由な暮しはしたくないだろう。。」と極論を言います。
すべてを天にお任せして、為るがままに受け入れたらそれで良いのでしょうね。
2009/9/10(木) 午前 10:07
人事を尽くす、という言葉がありますね、kiriyonさま。
人ができることをするだけであるとn、azunaはいただきます。
たとえば、「誰の迷惑にもならんよう」と配慮しての独居の方がいらっしゃった。妹さん夫婦がいあらっしゃったが、あまり寄せ付けず暮らされた。しかし、突然死されてみたら、妹さん夫婦が後始末に御苦労なさった。オマケとして、ためておいた年金(現金!)を隠されていて、その隠し所の古新聞の束入れを、知らずに捨ててしまったために?百万円のお札を燃やすことになってしまった。
かといって、「これを食べてはいけません」「留守番してね」などと構われたりするのも結構窮屈である。
結局、その人の持ち分(業)と巡りあわせ(縁)によって、それなりの結果がでるのです。大切な事は、そのことの良し悪しを問題にせぬことです。人事は尽くしたのですから。
それでも後悔の涙にくれたり、開き直ってハラを立てたりするのが、凡人、と如来さまはよくよくご存じですから。
2009/9/10(木) 午後 0:51
色々と考えても仕方が無い事ですので、事が起こる前に
元気なお姿の間にいっぱい楽しい時間を一緒に持つようにと心がけております。
何があってもお互いの心に、言い分が立つように思えて。。
2009/9/10(木) 午後 2:05