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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫浄土真宗をカタル

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「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 内至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法(大無量壽経・法蔵菩薩48願のうちの18願、これを本願という)」


「バッシングを受けて辛かったなあ」と昨夜、亀田興毅は語った。


いずれかのちにに詳しく語りたいが、われわれは「浄土の真宗」であるから、浄土を語らねばなにごともはじまらんのであるな。ところで、一般に浄土は「あの世」と思われている。

たしかに、御経さまには「ここを去ること西方、十万億の仏土を過ぎたところに世界あり」とある。けれどもそう言われてもねえ。


すすめば地球を一周して帰ってきちゃうしね。


だから「死んでから行く世界」「死者の世界」「非現実の世界」と思われてしまう。けれども、そうではないのだ。仏道の覚りを進めているのであるな、それは。

しかし具体的な向きを示さないとヒトは動かないのであるから、西方というのである。花はいっぱい美しき世界?それもどんなところかを聞き手の心に火がつくように語らねばやっぱり動かないから、そういうわけだ。


じゃあ、ホントはどんな世界なのと言われれば、まあシンプルに、仏さまの世界であり悟りの世界であると措いておく。ちょうど我々が二次元の世界、コミックを見ているときのように、次元がちがうべなというのが正確かもしれない

方向を示さないといけないというのは、子育ても同じだ。

「こっち向いて生きろ。そいうすればこうなる。こう言う世界に到る」と示さねば子どもは育たない。動けない。もちろん生身の親の示すことには、間違いやウソや親の見栄や希望が入る。それでも、こうじゃ!と示すのが親であることなのだ。悲しいことに、いつかそれはチンケでウソの世界であることが明らかになる。子どもが愚かなままなら、そういうときには何事も「親のせい」にされるであろう。

「オヤジの教えが正しかったことを証明したい」と亀田兄はよく言っていた。オヤジを慶ばせたいともいう。この場合、正しい、というのは方向性のことであって、逐一の言動や価値観ではない。そんなことを正確に伝授できる親は人智を超えているもの。だから、受け取る方が幼いと、とりあえず逐一学習になるのだ。「似んでもええとこまで親に似てしもたなあ」と言われるのはそういうケース。


在る時期まで亀田兄弟はそういうコピーの仕方をしたようだ。でも。オヤジの側はどうだろうか?



今の自分が今の記憶を失うことなく臨終の瞬間に生まれていく世界。それが悟りの世界。次元のちがう生命になるのです。これが仏になることである。

そのタネをここでこさえて仏に成る。あるいは本来もっている仏となるタネをここで自分の中から発見する或いは磨きだすことで仏に成る。こういうのが、仏教の方向性。


では、タネのないもの。磨きだすことができないものはどうするのか???それでも生きていかねばならない。自分の中にあるものをしぼりだして。そして子どもが生まれて親になれば、カンも含めて「こっちじゃ」と示さねばならんのだ。自信はなくてもあるふりして、いつかは剥がれるメッキでも精一杯輝くように振る舞う。

亀田の親父はホンマに我等西成のオヤジだと思う。いろいろな意味で「垢ぬけ」せず、礼儀も言葉づかいも知らず、突っ張って無理してあちこちでトラブルを起こし、身近なものには顰蹙を買う。好きか嫌いか、付き合うか付き合わないかと聞かれれば、nazunaもご遠慮する。


不器用極まりない。だが、そういった人々、欠点をかかえ時には罪を犯しあるいはエゴをふりまき醜い姿を晒し、「まともでない」とはじき出されて、スネて行く。それが現代のわれわれの有り様ではないか。そのことそのものに疑問はないか???


そういう存在が在ること、それが我等の世界であるなら上記の「成仏道」はきれいごとである。観念的すぎないか。そういう見事な完結は、却ってヒトを疎外しまいか。nazunaはそう思ってしまうのだ。


だからこそ、「まちがわさない」とこちらへと出向いてくださる仏が嬉しい。そして「いつでもお前は私の胸のうちに生きるのだよ」とはたらき続けてくださることに安堵する。


その慈悲、無限の受容にであって初めて、己が「愚」であり「悪」であり「罪」であることに目覚めることができた。それが念仏をいただき阿弥陀仏の本願に会うということだ。


いったん目覚めれば、そこから人生がかわる。「まちがわさない」とは、愚に対し智慧を与え悪を転じて徳となし罪を抑止するようにはたらくよ、という阿弥陀さまの願力である。


「悪いこともしても助けてくださる阿弥陀様なんでしょ」とタワケタことを言うものがいる。「どうせ凡夫ですから」と開き直っているバカがいる。そんな仏教があるか!!!安堵の中から激しい後悔と羞恥を感じるのが、念仏である。


「内藤選手、ありがとうございました」「まだまだあかん。おれは弱い」といった亀田興毅の言葉に、胸を打たれるものがあった。


はすっぱで不器用な嫌われ者のオヤジは、息子の言葉をどう聞いたのであろうか。

  • 顔アイコン

    亀田選手、すっかりオトナになってましたねえ。人は変わるもんだなあ、と思いました。ちゃんとチャンピオンらしくなった。あのオヤジさんは、、、あのようでしかないと思いますが(苦笑)けど、そうじゃなくなったら、つまらない気もしますね。ああいう人がいてもいいんじゃないかなあ。

    single40

    2009/12/2(水) 午後 3:51

nazuna
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