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いよいよ十二月です。昨年の行事をふりかえり、お寺で出した通信『常照我』や、このブログを読み返しています。 寺報には写真が満載。「ああ、この方はもうお浄土だ。この方は入院中だ」と、今年もいろいろ まことにもって、諸行無常でありました。 思えば、一昨年は安部首相から福田首相への交代劇。それから、麻生首相となって、現在は民主党政権。 日経平均は低空飛行。ガソリン値上げで上げていた悲鳴は消え、円高差益還元と企業業績の悪化。 世の流れに一喜一憂しているうちにあっという間に寿命は尽きます。「まだ、終わらんといて」といくら願っても祈っても、諸法は無我。 「ついにいく 道とはかねて聞きしかど きのうけふとはおもはざりしを」去るものに執着しても虚しいのでして、結果は苦海に沈没することになります。 そこで、お釈迦様は「涅槃寂静」をめざせと、お教えになりました。執着を生む元である煩悩のはたらきを滅して、仏法と自己を拠り所にして「サイの角のように、一人歩め」と示されたのです。 これらの3つのおさとりを、仏法の基本原理、「三法印」といいます。最後の「涅槃寂静」を目指して生きる道を仏道といい、そしてその道を自覚して歩むものが仏弟子です。仏弟子には在家と出家の2通りがあって、出家は在家の布施によって生活しそのかわりに在家のものが仏道を歩む手助けをします。 在家のものは仏法を出家に説いていただくこと、法施を受けることに対して、供養(飲食物のプレゼント)をしたり、布施(金銭のプレゼントや奉仕活動)をして、互恵関係を結びます。役割は違いますが仏弟子としては対等であると言えます。
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仏教をカタル






