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クリスマスが好きである 父である先代住職は敗戦ショックから真宗寺院や宗派を見限るようなところも若いころにはあって、自分たち夫婦のことをパパママと呼ばせ、クリスマスを普通にお祝いの日にしようとしていたようである。 幼いころの記憶では、ケーキを食べる日であったし、靴下にプレゼントをもらう日であったような ところが祖父がガンで急逝したために、教員生活よりもお寺を継がねばならなくなり、またお寺の方はご法義はあったが、預金はなく、兼職という形で住職を継いだわけである。そして、学校からもらう給料を生活費にあてて、布施収入をまるまる預金しるということで、お寺としての財産を残した。 それとともに、アメリカナイズされていた暮らしぶりから、真宗者之暮らしぶりへと回帰したようで、わが寺のクリスマスは「世間はクリスマスというけれども、2学期の終業式で通知表を親に見てもらいおいしいケーキを食べる日となった。 やがて、こちらが思春期になるとそういう習慣もなくなり、また父も布教に出せせていただくことも増えて、本願寺派や真宗信心の未来形を模索するようになり、宗教行事としてのクリスマスに敬意をはらうことも覚えたのである。 で、私の世代では全くといっていいほどキリスト教信者のすることになっていて、わが寺は世間とは別世界である。 じゃあ、何で好きなのというと、音楽である。昔から讃美歌は好きだしゴスペルも好きだしさらにはバンド活動(ウェストコーストのバンドのコピーをしていた)もしたので、ありとあらゆる音楽が好きなのだ。 優秀な東芝RD‐X8にしっかり取りだめしておいて、毎日仕事がてらに再生してゴキゲンな時間を過ごすのである。 今年は、小田和正の「クリスマスの約束」がゴージャスで感動的であった。「22分50秒」というメドレー曲。これを聞きながら「歌える人がいっぱい育っている」という感動もあった。 宗教的に回心した人は、解放されるので声や体のとおりがよくなるのであるが、芸術にかかわる人も同じで「いい身体の状態」「音が生きるからだ」になっていないとダメなのだ。 わが演劇の師である、竹内敏和によれば「からだをひらく→心をひらく」という作業がそこにはあるのだが、そういう過程を経ているあるいは、むしろ抑圧を受けていない女性のヴォイスがあふれ出したのが最近のミュージック・シーンである。それが、嬉しいのである。いい声(自分自身の本源的な声)で歌える人がこの番組にもいっぱい出ていた。 今日は「鈴木雅之のライブ」を録り、晩はEXILEのATUSHIのソロコンサートを録っている。これでSALYUのライブでも放映されればテンションがあがります。 というわけで、クリスマスが好きなんです。南無阿弥陀仏
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日頃お寺に縁がないせいか、長い長いお経の意味がわからず、神妙に過ごすのは骨が折れます。キリスト教のお葬式で、歌をたくさん歌うのはいいなぁっていつも思います。
昔、クリスマス会のあるお寺が近所にあって、他の宗教を排除しない寛容さがいいなぁって、子どもながら思ったことがあります(^^)
2009/12/29(火) 午前 9:19
aikoさま
お経だけじゃなく、「声明」を聞かせてくだされば楽しいですね。
江戸期という文化爛熟の時代を獲て、仏教もそのヴィジュアル的な展開や音声表現も成熟し、つまりは現代の、ファッションショーやミュージックライブに芸能の要素も加わってた、総合イベントを展開する力をつけたのです。宗派的には「堕落」と見る人もいますが、nazunaはそうは思いません。宗教は論理だけではなくヒトのエモーションによって成立するんですから。
2009/12/29(火) 午後 2:45