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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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週刊ダイヤモンドである。たびたび「葬儀」「宗教」関連の特集を組んでくれる。もちろん、経済雑誌であるから観点は、コストパフォーマンスになるのである。それにしてもこの雑誌の掲載、おそらく関東の相場であろうが、高いねえ。この半分もお布施があれば摂寺も少しは潤うのであるが(笑)


さて、われわれ「仏教」界、仏教系の新宗教があるのでしばしば「旧仏教」といわれるのだが、批判と揶揄の意味をこめて、「葬式仏教」といわれることが多い。


しかし、これも過去のシーンになりつつあるのではないか。今、葬式するまともに執行しない僧侶があるのではないかと思われる。いや、そう感じることが、またあった。


先週である。薄い縁ではあるが葬儀を依頼されて引き受けた。互助組織の葬儀社であった。まあ、びっくりするね。サービスと勘違いしているのか、めったやたら仕切りしゃべる。


通夜。打ち合わせに来た司会の女史。まず「マクラ経」「通夜式」などとのたまうので、通夜勤行と訂正する。すると臨終勤行と訂正したので、はいはいと承る。ちょっとは理解してるのかなあと思ったら大間違い。


こちらが入場する前にながながとナレーション。「永久(とわ)の別れの前に…」「別れを惜しみ…」「故人を偲ぶ…」 もう内容が支離滅裂。おわかりであろうか?


通夜は、臨終(現在では医師の判断でもう復活はしないとされた状態で死ではない)を迎えた人を寝かせて、皆で行う暇乞いの時である。皆がまだ耳が聞こえておられるとして、御恩をのべてこの世での別れの言葉とする。だから普通に布団にねかせてお棺に入れないのが常識であった。あった、というのはもう現在の日本は忘れ果てているから、この日も通夜からお棺に入っている。これは葬儀社の会場の都合なのである。

従って「故人」ではない。「故人」に生者たちができることは葬ることだけであるから、それなら「葬儀」である。ナレーターは「故人」といいつつ、一方で「別れの前に」という。なら死亡ではない。矛盾している。矛盾している上にnazunaが遺族に呼ばれて来ているという意味が、理解できていない。


通夜を通して皆がいずれ出会う問い、「人は死んだらどうなるのですか」という潜在的かつ根本的な問いに答えるように、仏法を聞きたいという要請を受けて、経典・論釈を朗読してその主旨を讃嘆するのであるよ。坊さんの前で、死生観を語るとはいい度胸であるが。



そこで、勤行後の法話で、
みなさん浄土真宗でよかったねえ。葬儀社の人は死んだらしまいや、と思うてはるから、先ほど『永久の別れ』ちゅうたはったね。お気の毒やね。ここで折角愛しいものに会えても、全部捨て果てて意味がなくなるから、さみしい人生やね」「私たちは大悲の親さまに抱かれて、皆がともに生まれていく浄土がある。そして永遠の命、ほとけさまにならせていただくことが既に決まっておるという法に遇わせてもろうたから、今の家族は永遠の家族や。いや、あんたがたと私は仏さまからみたら阿弥陀ブラザースやなあ」
「我々の頭では永遠の別れとしか思えない。阿弥陀さまの仰せは必ずこいよ・もれなく救うじゃから、いっときの別れ。さあどちらをいただくのか。己の頭で命を見るか、それとも如来の仰せに従うか正念場であります。」「さて、但馬に東井義雄という先生が…(因縁譚・略)」
と讃嘆しつつやんわり諭してみた。


さらに、帰りに大阪教区で作成した真宗儀礼の冊子を2冊プレゼントして帰ってきた。これでちっとは静かになるかなあとね。

すると、翌日こんどは、出棺の際(異安心がおこらぬようにまた、迷信に囚われぬように僧侶が立ち会う)に、わざわざ「棺蓋をする最後に私がお花を入れるから。御遺体(なきがら)への執着を断ち切るためにいるからね」と言ってるのに………。やってくれました。 

例:( )内はnazunaの無言のツッコミです。

「それでは蓋させていただきます。(わかってるって、黙ってやれ!)最後に(まだなんかあるの?)、みなさんで故人の冥福を祈りましょう(おいおい!!! お前は導師か)」


リー五世じゃないけれど、しばいたろか!ちゅうとこですね。nazunaは紳士ですから、心の中で叫びまして後で、火葬場まで付き添ったスタッフに、注意しておきましたが、どれぐらいわかったもんか(泣)。


でも、スタッフはマニュアルで動くから責めてもしかたがないのも真実。責任は坊さんにある。


高尚な教義を知っていても、棺蓋の現場に立ち会わなければ、そこで葬儀社スタッフが「葬儀社教の布教をしている」ことに気づかない。式前後のナレーションに耳を澄まさなければ、葬儀がどのような文脈で理解され語られているかも視えない。


成仏道ではないことが、なぜ仏教として世間に広がるのか。それは、葬儀という一番大事な仏縁を、僧侶がいい加減にしているからである。決して日本文化がどうとか神仏習合がどうとかではない。「現場に教学が無い」これに尽きる。トホホである。

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    nazuna様、時々お邪魔して、有り難く読ませて頂いております。
    通夜の状況の件、まったく仰せの通りですね。
    葬儀社は商売ですからリーダーシップを取りたいのでしょう。
    しかし、彼らにとっての目の上のたんこぶであります、お寺さんを上手に持ち上げ、あしらうことはどうしても必要なのでしょうね。もう一つ、無礼を承知で言わせてもらえれば、遺族としては、悲しみ、疲れているお通夜の席で、長々と訳の分からない(そんなお寺さんもいらっしゃるのです)話をされても、又、会葬者は色々な宗教を持った人がいらっしゃるので、一宗派(セクト)の話をされても受け付けないのではないでしょうか。それより、以前実際に聞いたのですが、「人生のこんな悲しみをみんなで共有して、今後ご遺族の方々と共に頑張りましょう。」って云うような話がみんなうなずけるように思います。いつもお通夜の席で気になっていたものですから、失礼かと存じ上げましたが云わせて頂きました。・・・申し訳ございません。

    追伸、遠井義雄先生は、播磨ではなく、確か、但馬の人ではなかったでしょうか。(・・・又いらぬ事を言ってしまいました。お許し下さい。

    wasyo

    2010/2/18(木) 午後 6:56

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    WASYOさま
    訪問ありがとうございました。通夜布教は真宗においては勝負ですが、仰せのとおり、当事者と家族と参列者をふまえて、内容を決めます。今回は家族中心で(山城の旧い真宗門徒さん)なので、遺族からの求めにも応じてでありますから、一座のお説教にしました。

    だいたい通夜の意味を伝えて、皆さんご家族と御往生の方に、「お話」をして帰ってくださいねという主旨が多いです。真宗門徒葬というのもあって、これは通夜を二段に分けます。すなわち僧侶門徒の勤行法話終了後に、一般の方の通夜があるというものです。この場合のほうが、ちゃんと暇乞いでき、悔やみをいえます。

    それから東井師おっしゃるとおりで、八鹿ですから但馬ですね。神子上先生関連の記事を思いつつ書いたので、混同しました。修正します。

    nazuna

    2010/2/18(木) 午後 9:08

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    有り難うございます。
    今後とも、ご指導賜ります。

    wasyo

    2010/2/18(木) 午後 10:00

  • なんとなくの疑問がとけました。有難う御座います。 (^人^)

    [ 竹光侍2008 ]

    2010/2/19(金) 午後 2:18

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    竹光侍さま

    なにかお役に立てたのなら、嬉しいです。(^人^)

    nazuna

    2010/2/19(金) 午後 4:21

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    なるほどなあ、と思いました。私も、すっかり葬儀社教の宗徒に成りはてておったと気づかされました。
    「葬式仏教」は、立派なものだと思います。それをいえば、結婚式とクリスマスしか出番のないキリスト教は「エッチ教」以外の何者でもありませぬ。

    葬式仏教を、ゆめゆめ粗末にはできませんねえ。

    single40

    2010/2/20(土) 午後 2:07

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    今月はいろいろあった月で、偉い先生とお話をする機会、節談の練習会、そして連続した三葬儀と。

    いろいろともの思う2月です。ちなみに、当派の関東の「都市開教寺院」は、葬儀に追われているそうです。理由はズバリ!他の宗派から比べて格段にお布施が安いからだそうです。これってスゴイ、チャンスです。

    nazuna

    2010/2/20(土) 午後 3:02

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    こんにちは。御貴師の表情を想起しながら、面白く読ませて頂きましたが、正直、現場では笑える話ではありませんね…。
    私は三河へ来てから何度も、“しばいたろか!!”以上に、“名古屋港に沈めたろか!!”と思いました…(><)。思うに、僧侶でさえ、葬儀屋ベースで人の悲しみを語る者がいます。葬儀の場こそ、まさしく身業説法の場であると考えております。そういう意味では“葬式仏教”と揶揄されようが痛くもかゆくもありません。
    ホント、葬儀社の葬儀に対する理解度をしっかりチェックしたいです…(汗)。お陰最近は葬儀の電話があると憂鬱になりますよ…。

    Rev.Ren'oh

    2010/2/20(土) 午後 4:36

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    ren'ohさま

    葬儀社の人とは仲良くすることですね。そこからビジネスライクか否かが見えてきます。言葉の本当の意味でビジネスに徹するでばそれはそれで、きちんと話合いができます。公益社さんのはからいなのか、厚生労働省の「葬儀ディレクター」という資格についても、僧侶が無知すぎます。また、グリーフケア・アドバイザーについても一定の知識が必要です。こういう話題を当派の人にしても、ほとんど知らないか感心をもたない。まさに、教学や宗派のオリの中にいます(泣)。

    nazuna

    2010/2/20(土) 午後 6:17

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    ご無沙汰しております
    週刊ダイヤモンド私も見せていただきました・・・・
    ため息が出るような内容ばかりですが、よく取材されているなーって寒心いたしておりました
    葬儀社教の信者さんが多い事も憂いております
    やはり、マスコミの力は偉大です
    葬儀社教の教会?教会長としてありがたく再勉強させていただきました
    おかげさま、有難うございました

    [ - ]

    2010/2/27(土) 午前 2:06

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    nazunaさんも、Ren'ohさんも「超カゲキ」発言なお坊さんですね。顕正は「繊細で、ノミの心臓のような度胸の持ち主」なので(腹を抱えて)震えながら読ませていただきました。

    A先生の前で言ったら、「ほんとにそうならそんなことは言わん。第一ノミに失礼や! ・・・シラミやな。」と大変キズツキました…。朋友に「シラミは昔なら、湿気があれば湧いて出てくる喩えや。」二度キズツキました。

    [ 一般神仏崇敬者 ]

    2010/10/2(土) 午後 8:23

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    ノミの心臓ほど土壇場には「トビ」ます。シラミやなとは、おっしゃいますなあ…。一回一回の葬儀法要にどれだけ力を配分するか。これも重要なことになります。いつも全力とはいかない年齢にもなりましたが、幸い当寺と門徒は家族的なおつきあいがほとんどなので、いわゆる「お別れ」に住職が親族といっしょに花を入れて、お浄土へ会いましょうとか、お育ていただきました、また続けてお世話になります。というようなことを、口にして納棺出棺することを自然なものとして聞いて下さる方が多いです。

    nazuna

    2010/10/3(日) 午後 1:24

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