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夜間の「理科」授業では、博物学(生物学中心)が中心になる。生徒さんたちの日暮らしの中での知識と名称を結びつけることが、大きな課題であるからだ。 ところで、博物学とは政治学ともかかわる。人間が自分のまわりに存在するものをカタログ化することが、その起源であるが、それは未知のものに出会うことによって要請される。自然界のものはその地域における秩序を構成するから、未知の地域にヒトが行くことによって、初めて可能になる。 ところで、客観的にみれば、この世界の至るところにヒトはいるわけであるから、「博物学」とはある特定の人間集団の立場から、他を対象化することになる。つまり、他の世界をモノとして扱うことが前提となっている思考といえる。 これが政治学とかかわる所以である。「もも」なのか、桃なのか、タオなのか、ピーチなのか。名称一つに政治がかかわる。 誰の視点でものをみるのか、によってずいぶんと世界が変わる。わが師、親鸞さまは阿弥陀様の視点に世界観をゆだねられたのであるが。 さてさて、源平桃という。紅白二色の花が咲く。もともとの梅は紅梅であるから、アントシアンという色素である。これがスイッチのように、酵素が順番にはたらくことで発色するのだが、そのシステムがときどき働かなくなると色が出ない。 私たちも何回に一回か、電気を消し忘れたりするのだが、自然はそういうミステイクまで組み込んでいるらしい、と近年の遺伝子学でわかってきている。 そのような偶然、縁起によって流動的に生命の姿形はもともと変化するようにできているらしい。諸行無常とは釈尊の直観的による真理と仏教ではされるが、どうも科学でも証明されつつあるようだ。 この世界の本質は運動。その1つの証が、お寺の庭で咲き誇っている。
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お寺のくらし






