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いよいよ 750回である。自分のいただいたイノチの間に、親鸞さまの御法事を営めるというのは、不思議であり有難いことである。 写真はテーマであるが、7月7日にこのテーマでの12時間法話会があって、ゲスト出演する。 で、「世の中安穏なれ」をどういただくかと 問うてみる。このご聖教のご文は、親鸞さまのお手紙の中の文である。 往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏候ふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。よくよく御案候ふべし。このほかは別の御はからひあるべしとはおぼえず候ふ 鹿嶋の性信へのお手紙である。ご消息は、文面と日付から1250〜1259、つまり1250年代のものと推定される。 このころは世相は大変であった。三代執権の北条時頼が辞任して出家したときであり、鎌倉では大火と地震が起こる。台風と洪水に襲われる。諸国では飢饉と伝染病(赤疱瘡)が流行した。餓死者・病死者があふれたのである。 その真っ只中にいたのが、性信である。しかも、専修念仏に対する批判は繰り返しおき、戒律復興派の西大寺の律僧さま方が、具体的な難民貧民病人救済に乗り出されるに至る。そんなこんなで、念仏衆は世相に左右されざるを得ない状況にあった。 当流の念仏者は、成仏道歩むものである。しかし、凡夫である。縁によって左右され無明に囚われていくことは必然である。しかし、信心決定の上からは、立ち返るご本願がある。 親鸞さまはゆえに、第一として信心決定を、その上での称名三昧をすすめられて、それが凡夫のはからいを超えて世の中に仏法を弘め、世間を落ち着かせて人々に安穏をもたらすと、仰せになるのである。 一見すれば、社会を変えようととかよりよいシステムをつくろうという現代的なポジティブな有り様から見れば、「なんと消極的か」と思われるかもしれない。そういう批判を口にする人も現にある。けれども、nazunaはこれがもっともポジティブであるといただく。 縁起によって時代に縛られているものが、念仏によって成仏道を生かされることから、時代を超えた普遍に抱かれる。その地点から優れて「個でありながら全であり、全といえども個にある」という、自在さが誕生する。自己をも解体していくはたらきの中で、真実の智慧を仰ぎつつ歩む人生というものを、個々に獲得せしめてこそ!!! 平和な世間が達成されるのである、というのがご本願の主意、ブッダの意志である。
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浄土真宗をカタル





にわかに、きな臭さを感じるこの頃。
「今こそ」というタイミング。
そう思いました。
合掌。
2010/5/29(土) 午後 4:32
政治も経済も激動期に入ったようです。世情が不安定になりますね。
2010/6/1(火) 午前 2:23