|
7月、法事にさいして、門徒さまから、想いを綴った手記をいただいた。 ご院主さま Yの50回忌に際して、一言、私の思いを聞いていただきます。当時、私たちは広島県の小さな島に住んでおりました。私を含め御近所で3人の若嫁が男の子を出産しました。私と隣とお向かいと。3人で赤ちゃんを抱いては、おしゃべりをし子守をしておりました。戦後すぐ本当に絵に描いたような、楽しい和やかな日々でした。 ところが、私の赤ちゃん、Yが死んでしまったのです。生後4カ月で…… 手のとどかないところへ。私の前からあの子が消えた。 長女を抱きしめて茫然としている私に、皆が同情して声をかけてくれます。慰め、励まし。けれども、耳に声は聞こえても私の心にはとどかない。「子どもをなくしたことのないものに、なんでこの痛みがわかるのか」と叫んでおりました。 そんな私に母が言いました。 「あんたは四か月の子どもとの日々に胸がいたんでおられる。けどな、わしはA子を原爆で亡くした。16歳じゃった。16年間の日々を残してあの子は逝った。言葉ではいえん思いじゃった。そやけどな、人間ちゅうもんは勝手なもんじゃ。3年たったら少し心が軽くなり、7年たったらフッと忘れることができるんよ。辛抱しなさい、辛抱して待ちんさい」 それでも「この悲しみが3年7年で?そんなはずがない。」と、よけい頑なになっていきました。 毎年、椿油を行商にくるおばあさんが、ある日、家の中に入ってこられました。いつもの日本手拭で姉さんかぶり。絣の着物に赤いおこし姿です。80歳くらいだったでしょうか。そのおばあさんのお話が私を変えました。 「この家はボクちゃんが死んだそうやなあ。お宅は浄土真宗かいなあ。浄土真宗やったらそのお子は、仏さまじゃ。ねえさん、ねえさんはこの家のお仏壇を相続して家を守り仏さまにお給仕される立場にあるお方やから仏さまが可愛い我が子の姿で現れて、そして還っていかれたんやで。可愛い子どものお姿で、仏さまにお導きいただいたんやねえ、きっと」 この言葉が悲しみを乗り越える力になりました。今思えば、このおばあさんも仏さまのおつかいのように思えます。あれから50年。大好きな母も椿油売りのおばあさんも、忘れられない言葉を残して浄土へ還られました。ただただ合掌です。 今、一枚きりのセピア色になったお宮参りの写真を見ています。Yくん、ありがとう。抱きしめられていたのは、私の方でした。ありがとうございます。 法事のあいさつに代えて、ひ孫まで合わせて20数名の家族に、この手記をあいさつとして読まれたことである。 戦争は多くの悲しみを生む。原爆の日に、全ての子を喪った親を想う。世界中の人間を「わが一人子である」とされる、大悲の親、如来さまの胸の内はいかばかりであろうか。仏説阿弥陀経を「わしはあれを『仏説ナミダ経』としか読めん」とおっしゃられた先師がおられた。 念仏に生かされるとは、その如来の涙の一滴でも汲み取れるヒトに、お育ていただくことである。 原爆の日に。 |
住職、涙チョチョ切れる



心に浸みこむお話です。
悲しみをこのお話にまで引き上げた尊い時間と
このお婆さんの生き様に感服しました。
2010/8/6(金) 午後 1:59
市井に本物が存在して、また突然にその徳と関係なく失ってしまう。 合掌
[ 竹光侍2008 ]
2010/8/6(金) 午後 2:33
Kiriyonさま、竹光侍さま
在家仏教の当流では、「妙好人」といわれる市井の念仏者が生まれます。仏法を、自身を支えるみ教えとしていただかれた方々です。この門徒様も含めて、念仏の人と巡りあえるご縁によって、われわれ僧侶分もお育ていただきます。
2010/8/6(金) 午後 4:31
言葉もございません。この優しいお母さんも、椿油売りのおばあさんも、亡くなった小さな子どもさんも、皆有り難い。合掌させていただきます。
2010/8/6(金) 午後 5:08
宗教というもののもつ力は現実世界の論理と拮抗しあるいは凌駕します。そういう緊張関係が戦後社会の中から消えつつある。我が宗派にはありがたいことに、そのように聞き、シャバの論理をまさに「ふりすてて」本願に帰命される、すなわち阿弥陀様の仰せをそのままいただき浄土往生の人生を歩まれる方がおられる。頼もしいことです。
2010/8/6(金) 午後 9:27
じぃ〜〜ん・・・。
2010/8/7(土) 午前 8:39