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(隣接の市営霊園からお寺を望む)
壽光寺は移転寺院。大阪市が大大阪構想でもって、郡部を併合して新たな区に再編するのに合わせて、新設の西成区玉出の土地を提供された。
上町台地が落ちてきて、難波潟に面するところ。かつて、白砂と松のある堤防であったところで、名所図会には「岸の姫松」と、詠まれた名勝であるが、居住には向かない。南に隣接する「今在家」村の村墓があるのみの寂しいところ。
明治時代には、落語家が追剥にあったという記録もあるぐらい。そういう土地であるから、市中寺の移転先としては破格の広い土地をいただいたのであろう。
現在では、この隣接する市営霊園まで、「壽光寺さんのお墓」と勘違いされてくる方も後を絶えない。
隣接の村には真宗の寺が3件あり、おそらくこの霊園にある墓地は、それらのお檀家さんであろう。しかし、都市化の中で故郷を離れた人も多く、墓参りや墓碑改装、あるいは納骨にと、拙寺の出勤を希望されることも、ままある。
そういうときでも、言葉は悪いがイチゲンサンのときでも、可能な限りご賛嘆をさせていただく。10分〜30分。それを前提に、横から見れば、「坊さんが墓石拝んだはる」と見られても、南無阿弥陀仏などのお名号以外の墓石には懐中名号をおかせていただいて、お勤めをする。
葬儀の勤行とはもともと、火屋(火葬場)の横で仮屋を作って行うものであった。詳しい記録として、宗派では江戸初期、八尾・顕証寺さまのご住職葬儀の記録が残っており、明らかである。
凡情とはいえ、生きて動いていた肉体がそこに存在し、しかもそれは物質としてしか存在しないという、アンビバレンツな感情に侵されている遺族にとって、やはり肉体そのものが喪失されるという場は、土壇場である。
だからこそ、そこで釈尊や祖師の御教えに耳を傾けて、「浄土往生」への疑いを止めて、本願に帰依することを再三進めるのである。
ここで、仏説と凡情が相反するのである。その相反をどうリンクさせるか。
それが葬式仏教(死者儀礼にかかわって説かれる仏徳讃嘆)の課題なのである。
さて、そうすると葬儀の参加者には4つの立場が生まれることになる。以下、
①葬儀を滞りなく施行する―自分を含めて参列者たちの多数が「葬儀が無事終了した」と感じることを目的とする。
②肉親の死によっておきた悲しみやとまどいを、より深くいただいたり、あるいは転じられたりすることで、自己の安らぎとなることを目的とする。これには2パターンが混在する。A.死者が安らいでいるかが問題とされる B.自己が安らいでいるかが問題とされる
③葬儀を通して、参列者同志の関係を強化することを目的とする
④生老病死の無常に目ざめて、仏説を縁にすることを目的とする
この4点は整理のための視点であって、実際には一人の中にこの4点が、揺れながら顔を出す。しかしこれをもとにすれば、昨今の混乱も整理されるので、次にこれを使って整理してみる。
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