ここから本文です

スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫全体表示

葬儀考 (遺影)

イメージ 1
(死絵)
 
旅に出たら、葬儀が続いた。「浮気するから門徒さんが戒められたのよ」「ははあ、
 
それは住職は他所へいってはいけません、ということでしょうなあ」
 
 
一因一果であるから、主観であり真実ではない。ないことが理解されているから、お
 
寺ではそういう「冗談」が多い。坊守に言われ、直林師にも言われ。真宗僧侶である
 
から言えるジョークであるな。
 
 
11月23日に始まり12月18日まで。6件の葬儀を執り行った。ウチ二件は、代理であ
 
る。ホーム(お寺)が3件。それ以外は外なので、久しぶりに「葬儀社の常識」にあう。
 
 まずは、遺影である。いつから飾るようになったのか?
 
 
俗耳であるが、
 
①戦死者(兵隊さん)の葬儀に、靖国イズムが浸透してきた結果、「顕彰」すべき死と
 
なる。そこで、死者を直接知らない人も通夜・葬儀に参加するようになって、死者の
 
肖像が必要となった。
 
②肖像絵がその原点としてあって、神社仏閣に奉納される故人額(もちろんそれら
 
への供養料。布施・神饌を伴う)作成が発展した。これは場合によっては地域や神
 
社仏閣側あるいは政治が作成することもあった。
 
③①と②が特別な事態として存在していたが、第二次大戦という大量戦死者が出
 
て、葬儀数が増大し、また「遺骨」のない葬儀も生まれたため、遺影=写真の需要
 
が増大した。
 
 
という理由が想定される。
 
 
千葉工業大学の浜野志保氏(視覚文化史・写真史)は、
 


「死後写真(post-mortem photography)や心霊写真(spirit photography)など、写真が普及した後の西洋において、肖像写真は、しばしば死者を追悼する手段として用いられ」「今日の日本で行われる葬儀においても、故人の肖像写真である遺影が用いられないことは稀である。遺影の大半は、生前に撮影された近影の中から近親者によって選別された後、葬儀中は祭壇に飾られ、火葬場へと向かう弔いの列に随行する。葬儀が終わった後は、家へと持ち帰られ、仏壇や仏間に飾られることも多い。」「写真術が発明され日本に伝来した時期を鑑みれば、こうした遺影の習慣は、それほど古いものではない。しかし、江戸時代の役者絵の一種である死絵には、たとえば三代目尾上菊五郎死絵(嘉永2/1849)、八代目市川団十郎死絵(嘉永7/1854)、五代目市川海老蔵死絵(安政6/1859)のように、生前の姿を描いた肖像画が追悼の手段として画中に示されているものがあり、これが遺影の原型であると考えられる。」「また、葬儀において遺影が使われはじめた時期は、火葬の普及や生活空間の変化に伴い、葬儀の様式が、棺を墓地へと運ぶ葬列を中心とするものから、祭壇前での式典を中心とするものへと移行していった時期と重なる。」


まさしく歌舞伎役者(つまり当時の芸能人・有名人の代表)の「死に絵」を、葬儀に装飾するという江戸期の文化にその水源を求めtられるのである。それはそれで面白いのであるが、nazunaが問題にするのは、「この遺影をなぜ、火葬場まで持っていくのか」ということである。
 
位牌の問題も述べるが、火葬へ行くのになぜ写真がいるのだろう?葬儀において「死に絵」が飾られる、あるいは死後に絵馬や供養額が奉納されることと、それを葬場(火葬・土葬)にまで持っていくのとでは、大きな意味の違いがある。
 
とある葬儀の中で、満中陰が済んだときに、遺族である娘さんが、「これからは、写真を拝んだらええの? それともお位牌を拝むの? それとも仏壇を拝むの?」と質問されたことが、今日のnazunaの葬儀へのスタンスを決定づけたことを思い出す。
グッズが多けりゃ、そりゃあ混乱もしますわねえ。
 
 
 
 
 

  • 祖父が急な短い療養の後逝き、遺影さがしに苦労した経験から、毎年元日の記念写真を撮ったあと、さりげなく、それぞれのスナップ写真を撮るようになりました。
    今年も弱った老父が、「葬式の写真だけんなぁっ♪」といい笑顔で写ってくれました。
    親しい人には、面影は眼の裏に焼き付いて、遺影なんて要らないのでしょうが、セレモニーには無いと様になりません。
    偲ぶよすが、って言うより、なりゆきで、粗末にできないので、なぁんとなく持って行くのでしょうが、言われてみれば、変な感じです。

    昔、義母の生前の肖像を油絵にして、義父に贈りました。不出来な嫁に最後まで厳しい義父でしたが、絵は大切に自室に飾ってくれました。結局それが私にできた唯一の姑孝行で、私というより、亡き義母の笑顔のなせる業だったと感謝しています。
    遺影には、不思議な力が、あるように思います。

    鈴木藍子

    2010/12/20(月) 午後 8:43

  • 顔アイコン

    aikoさま

    遺影(写真)というもののもつ力から、通夜・葬儀に際して式中に掲示されるのも、それなりに微笑ましくまた、いろいろと話題を提供してくれて、いいものですね。

    あっても問題にはならないと思います。ただし、仏式で行う葬儀に際しては、正面をはずして左右どちらかに振り分けます。礼拝の対象を写真にしないためです。そのあたりも、今日ではいい加減になってきていますね。

    nazuna

    2010/12/20(月) 午後 11:51

  • 顔アイコン

    たしかに、ご指摘にあってみれば、遺影を火葬場に持って行くのは不思議ですね。我が家では、遺影は仏壇に飾らず、押し入れに遺品ともどもしまい込んでいます。つまり「遺品」という感覚なんでしょうね。顔も、その人の遺品だと。
    なんとなくやっていることに、意識が現れるのでしょうねえ。

    single40

    2010/12/27(月) 午後 2:56

  • 顔アイコン

    single40さま
    葬儀社の方と、検討することも、何度かあって、葬場→火屋は運ぶだけであって「遺体」扱い。すなわち、適正にかつ大事に土へ返すものであるということになります。

    そういう意味で尊敬はします。けれども、「命」をそのような矮小な存在にさせないというのが、仏法ですからね。

    葬儀や法事は、そうするとそのような現世的な価値から仏法への橋渡しになる「時間」「空間」であると、規定できますね。

    nazuna

    2010/12/27(月) 午後 10:54

開くトラックバック(1)

nazuna
nazuna
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

ブログバナー

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事