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3月11日午後2時46分。お客を待ちつつPCで説教大会の写真を再吟味してきたとき、ふーらふーらと長い揺れがきた。当寺は上町断層の近所に建っているので、揺れは発表される震度よりも常に+1である。
すぐに阪神大震災の記憶がよみがえりったが、あのときの激烈な縦揺れが無かったので、離れたところが震源地であると悟った。で、揺れている間は耐えて、揺れが収まってTVをつけると、岩手県沖という表示と激しく揺れる東京のスタジオの様子が映し出された。
このときは地震の規模がわからず。一階にいる娘とワンにゃんの様子を見に降りたら、娘はいなかった。さっさと親父を置いて、外へ逃げていたそうな。さすがに経験者である。と同時に、お寺の建物を外から点検していたそうな。
さて、一段落して飛び込んできたのがマグニチュードの大きさと「大津波警報」。大阪市史や堺市史を調査したときの、安政の大地震(東南海・東海地震)の絵図とデータを頭の中で繰る。
和歌山・高知・徳島で多くの村が村ごと津波にさらわれた。両地震による死者の合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震は9年間で3,000回近く続いた。
これらが一瞬にして頭をよぎり、錦絵や絵図の倒壊家屋と火事の絵や、木津川河口から津波に運ばれた船の絵(一心寺下の坂あたりか)も浮かんだ。まさかね???
………そして。こおあとの経過はみなさんも知っておられるとおり。未曾有の大地震であった。また、津波の実態を映像でとらえられ、見せられたのも、驚きと恐怖と哀しみと。
門徒のおばあちゃまが(12日は常例であった)、「空襲後の風景と重なったわ」とおっしゃった。ほんとうに土台のみで家屋の無い世界。さらに、バラバラになった材木・コンクリート・金属が山のように拡散集積した世界。
茫然自失である。
宗祖が「まあさてあらん」と仰せになったことが身に染みる。自分の命を守ることで精一杯。大事な家族を失い、あるいは手をはなしたがゆえにと自分を責める。「なあんもできない」「なんもできなかったよう」と。
そんなニュースの中、婦人会長さんの娘さん、幼馴染のKさん一家も消息なしと聞く。多賀城の高崎在住であった。12日朝からずっと、連絡がとれるように手を尽くす。携帯ネット、グーグル。それぞれの地域のHP。
そうして今朝、「連絡がとれた」という嬉しい知らせ。松島におられたご主人は庁舎ごと流され脱出をはかった車ごと流され、自力脱出して多賀城まで帰ってこられたそうである。
よかったねえ、といいつつ、単純に喜べない。「友達や近所の人が沢山亡くなった」という報告も。
失われたものがこれから明らかになる。確かに「ノアの方舟」のように、何度も何度も地球内ではこういう出来事が繰り返されてきたのであろうけれど。
願わずにはおれない祈らずにはおれない人間存在を改めていただくことである。と同時に、こんなときでも「自己とのかかわり」でしか考えたり感じたりできない「醜さ」を想う。
「まあさてあらん」 ならば、何をなしうるのかを深く考えていきたいものである。
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住職、涙チョチョ切れる




儚い文明に対して「命は強い」 命の力に希望をかけます
[ 竹光侍2008 ]
2011/3/15(火) 午前 9:30
竹光侍さま
dorinさんなど、ブログ友で多数被災された方もいらっしゃいます。
一度、野生の生に戻って(生命力という意で)、無生の生を目指す生き方を希求せねばならんと思われます。
2011/3/15(火) 午前 9:49
御無沙汰しております。私の寺は仙台市若林区でも一番海岸から遠い場所にあります。ニュースで「仙台市若林区の海岸に数百人の遺体が」と報道されるので遠方の友人知人から安否確認・見舞いの電話をいただきました。若林区の海岸の近いところには、曹洞宗の寺院が3軒、真宗の御寺院が3軒ほどあります。曹洞宗の3軒は皆様生存していると聞いてほっとしておりますが、本堂庫裏は浸水し、再建の道のりは厳しいと思います。他秀の御寺院の安否損害については、私が情報に疎いこともあって、わかりません。しかし、若林区蒲生にある本願寺派の専能寺様は床上浸水以上の被害に遭っておられると推測されます。
[ 三尺坊 ]
2011/3/27(日) 午後 11:26
dorinjiさま
ご訪問ありがとうございます。現地情報できるだけアップしてくださいませ。
2011/3/28(月) 午前 0:25