|
梵鐘の型 なんとなくカワイイ
大師匠・広陵兼純師、『日本の放浪芸』に収録された「加典兄弟」。
エミレの鐘ともいい、師の師であられる範浄文雄師の録音も残る。
広陵師の「ま紫の煙をはいた溶銅が〜」というフレーズを想像しながら、工場へ。
土と水で炭粉でこねられできた鐘の型。
さあ、どうどうどうどうと流し込まれる溶銅は???と見ると、ありました!!!
この窯の中で溶けているのです。1500度ぐらいの温度にしてから、1,200度にコントロールするそうで。
なんかこう、床上に通路みたいなのがあって、そこを真っ赤な溶銅がこうつーっと流れていって、地下の型にすーっと流し込まれるイメージは、妄想でした。
この溶銅を注ぐための入れ物、「坩堝大」ですが、ここには藁灰を敷かれる。これは大昔から変わらない技法。不純物を吸着するはたらきと、溶銅の飛沫を防ぐはたらきがある。
大きな実験室にいるようで、職人さんの作業にもわくわくします。
型の方には、炭粉をペイントして準備。順に積み重ねて、最後に上部のドラゴンの部分の型を載せて完了。
熱による金属の膨張と、冷却にによる収縮。これらによって、鐘本体に歪みやキズがおきないように計算され経験の中で継承されてきた細かい技術がそこにある。
仏教伝来とは「テクノロジー」の伝来であるということが、よくわかる。
経典には、紙と墨の技術が必要であり、また保存を前提とした保管の技術も必要とされる。
仏像には木造もあって、これには素材の選定から加工の技能、さらにはやはり保存の技術が、要求される。
これ以外にも、建築・建造のノウハウに、布・衣服の織りや綴り、鳴り物(音楽)に聲明と、ありとあらゆるテクノロジーが「仏教」という塊なのである。
|
仏教をカタル






一つの作業でも奥が深いんですね
[ hiro ]
2011/8/16(火) 午前 9:21
hiroさま
鐘づくり、大変興味深く、感慨深いものでした。
2011/8/16(火) 午前 10:55