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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫住職、涙チョチョ切れる

イメージ 1
隣接墓地からのぞむ自坊の庫裏
 
先日、近所の会員さんから「お話を聞いていろいろとしてほしい」との相談。
 
嫁になるお婆さんの実家の人が数人、こられていた。
 
話は、お墓をなくす、仏壇をなくす、という話。
 
かみあわない話が続くのだが。
 
長男の家族はクリスチャン。長男(といっても80歳)だけがちがう。二男は養子に出て、三男は姓はついでいるが子どもがない。仏壇を処分し家墓を処分したいということ。
 
nazunaの立場ではよく聞く話。しばらくは、語るにまかせる。
 
お釈迦様の御教えを学び生きるものなら、「墓が仏教における必須アイテムではない」ことは自明。
 
ところが、メディアの害(天皇制と国家神道のための意図もある)で、お墓=お寺=仏教というイメージを現代人は植えつけられている。
 
特にテレビ。で昨日、連れ合いが「まあ見てみ」と見せてくれたのが、NHKの「セカイでニホンGO」という番組。『シューカツ』特集で、シューカツとは終活、だそうである。
 
で、案の定、何宗のお坊さんかわからんが、出てきて「見る人のない人のための集合墓」の宣伝。ここで、坊さん=墓守となっている。
 
番組そのものは、スリランカの人やたかのてるこさんのシャープなコメントがあって、ほっとしたけれど。日本の坊さんは墓守でお墓教の人、というイメージは増幅されたまま。
 
最後は、墓ともだちの紹介で、生前にいっしょの墓地に埋葬される仲間の紹介でした。
 
番組を見ながら、言葉の通じない人を見るようで、哀しさと通り越して笑っちゃう、わが家族でした。全く理解できないのですよこれが。
 
①この人たちは、死ぬということをどう理解しいるのかがわからない。
②今から準備しておけば安心、というのは何の安心???
③誰かに「墓参りしてほしい」というのはどういう気持ちなのか???
④今の意識のままでその墓地の土の中に埋まっていることを望むというのは、地獄へ行きたいという願望があると、理解すればいいのか???
⑤遺体は土となっていく、ことは理解されているようだけれども、だとすれば死後のイメージをどうもっているのかが不明。
 
まあ、こんな感じです。
 
つまりこの番組の角度でいうと、大震災で死んだ人のうち遺体もない人は、どう理解されるかというと、「ひどい目にあっているかわいそうな人」のまま、ということになりませんか。石碑や石塔に執着せずに、眺めれば自然に還られた命といただけるのに、墓に執着する心を育てれば、「かわいそう」なまま。
 
死を恐れ、遠ざけたいばっかりに、「死」を自分の人生から切り離し、空間的にも時間的にもどこかの誰かに委ねる。その上で、そっち側で「ええようにしてほしい」ので、多少の出費は惜しまない。でも、身代全部投げ出そうという覚悟はない。
 
現代日本人はこんなふう。
 
さてさて、上記の相談は全くそういう影響化のお話。結局、自分たちがどう生きどう死ぬのかということは抜きで、「先祖や死んだ人」をええようにしてくれ!という話であった。どあつかましい話であるな。
 
しかしプロは思っていてもそんなことは言わないのである。
 
大阪でもお骨寺の一心寺というお寺があって、お骨ビジネスに精を出されて、お金持ちである。集まった浄財で、「墓に何ぼ参っても地獄へ行きまっせ」と宣伝してくれればいいのだが。で、お墓をなくしてそこに収めるという案があるが、「永代供養料が高い」そうである。
 
「浄土真宗から浄土宗へ改宗なさるのですか?」と聞いたら、何をいわれているかわからないという風情。でちょっと説明して、真宗ならお墓が要らない人は東西とも大谷本廟祖廟へ納めることや手次寺にある合同納骨地に収めることを言う。
 
すると、そうきちんと心配しているわけでもなさそう。お墓やお骨のことはめんどくさいことで、専門家の坊さんがええようにしてくれて、しかも一番お金がかからんのがええ、という話をされた。自白させたわけです。
 
ふーん。
 
「お墓やお骨のことはお経にはないので、めんどくさかったら、わからんように生ごみといっしょに捨てはってもええのとちがいますか?」「自分が尊敬・敬慕の感情があるなら、お墓詣りしはったらええやないですか。長男がとか誰が見るかとかそんなんほっといて。」「自分たちが大事にしたいと思うなら、その大事にしたいというのはどう大事にしたいのか。それはお骨を大事にしたいのか。墓標なのか。それとも、今の自分の命なのか。それもただ生きてるのではなく、人して生まれたこの命を本当に生き切っていくような生き方を求めるのか」
 
時間をかけて、このようなお話をした次第である。
 
さてさて、続いて、フジの坂元裕二オリジナル脚本「それでも生きてゆく」の最終話を見る。
 
とっても真宗的な設定と展開。切なく、深く、厳しいドラマ。
 
ここでも墓参りのシーンがあった。加害者家族と被害者家族が共に墓参りする。
 
和解ではなく始まり。娘を殺された大竹しのぶがいう。「謝らないでください」「私今、アキにいいました。あなたはちゃんと生きたのよって」「7年の人生を全うしたアキの冥福を祈ってください」と。
 
このセリフが今のテレビの限界設定なんだなあ。念仏者が宗教的フレーズを使わないでいうならと、視聴しながら以下のセリフをnazuna がシュミレート。
 
「謝らないでください。謝らないであなたの命を精一杯生きてください。それは加害者である息子、兄を、そのまま受け止めて生きることです。苦しいけれど悲しいけれど逃げないでください。私もまた娘を可哀そうに思い涙し、けれども娘がしっかり生きたことに学び、しっかり生きよう、まじめに生きようと思います。それが揺らいだり、そのことを忘れそうになったら、またここにお参りしましょう。」
 
ところが、そのあとの、瑛太と満島ひかりのスリリングなシーンの連続の果てに、二回目の被害者の娘の母となって生きます、と宣言した双葉にそのセリフが。
 
罪を犯したのはあなたの兄であって妹のあなたじゃない、責任ないじゃないですかと「なんであなたが背負うんですか?あなたが引き受けるいう「ヒロキ(瑛太)」に。
 
「まじめに生きたいんです、まじめな人でいたいんです。甘えたくないんです」
 
視聴率は高くなかったろうけれど、マジメなドラマでした。
 
最終話のタイトルは「光の方へ向かって」 nazuna が付けるなら「光に抱かれて」になるなあ。

  • 実は「浄土門」にある人は極端に少ないのかも知れません。人は真理を知ったからと言って、たちまち目覚める事は不可能で、奥深く染み込んだ盲眛は払い難いと思います。

    [ 竹光侍2008 ]

    2011/9/16(金) 午後 8:13

  • 顔アイコン

    竹光侍さま

    いやあ、別に執着すんのが我々ですから、執着ダメねという当流じゃないですよね。でも、執着している自身にどう目覚めるかでしょ。

    nazunaにはついぞ、ブッダを目指すことを明言してそのための道を説かない宗派が、なぜ仏教なのか、理解不能なんです。冥福を祈ったり先祖供養を勧めたりする僧侶がいることが信じられない。

    まあ、仏教会という仏教各宗派に体制協力させるために結成された会をボイコットしているので、他宗の僧侶とケンカもしないですんでいるのですが。

    nazuna

    2011/9/16(金) 午後 11:22

nazuna
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