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承知のとおり、nazunaは「ミステリー」好きである。
TVもスポーツと音楽以外は、ミステリー系のドラマのみを視ている。
昨日は、地上波フジを2本とwowowが1本。もちろん録画視聴になる。
フジは『謎解きは〜』『ハンター』。wowowは、『クリミナルマインド・特別捜査班レッドセル』
映画もほぼミステリーしかみない。(ガッキーの映画は別!!!)
ミステリーは、謎があってそれが解決する。日常の謎もあれば犯罪もある。クイズに正答したカタルシスがその本質のように思われる。
しかし、実はエドガー・アラン・ポーがその嚆矢と言われるように、近代社会の現出とかかわる文学現象であった。その著「モルグ街の殺人」では、探偵オーギュスト・デュパンは、没落貴族であり、図書館と書物をその象徴とする存在で描かれる。
また、その場面背景や解決も重商主義から資本主義へと展開する社会の様相が象徴される。詩人ポーの直観が、富の拡大が世界を外部と内部に分け、流入する「新世界」に、キリスト教秩序が崩壊し、犯罪が現出していくという様相を示す。
さて、翻って現代。『クリミナル・マインド』は、妹を連れ目撃させて首つり殺人を連続してD・Cを目指す若者が犯人。このドラマは犯人捜しと動機探しのツインで進む。統合失調症の犯人の動機は、終盤になって明らかになる。
「直せるとは限らないんだ」「守れない約束はするな」という叫びの意味は?…。犯人と妹は犯人の病気のせいで親に捨てられたのであった。「帰ってくる」という言葉を残して、母が去り父が去った。妹は父の存在を知り、何度も何度も「帰ってきてほしい」と手紙を出すがなしのつぶて。
やがて、地方選挙にその父が出馬し、選挙ビラには親子の写真。父は既に別の家族を持っていた。ある日妹は首をつって自殺していた。犯人は死体を連れて旅をしていたのであった。その途中で、父親が家族に約束の言葉を言う場面に出会うたび、代理復讐をしていたのである。叫びは「約束は守れなくても直すことはできる
」という選挙ビラの父のスローガンへの拒絶であった。
最後に、父の元に辿りつき絞首刑にしようとした犯人を説得逮捕する。自殺しようとした犯人を正気に戻すために、主人公たちは死体を狙撃する。
明らかに、捜査官たちは犯人と同化し、犯人の孤独と苦しみを理解し、涙する。
兄の妄想の中で生きている妹を、「自由にしてやってくれ」というセリフ。
そして、妹の遺体を損傷させたことに対しての祈り。
「父と子と聖霊の御名において。来世に祝福を」。ひどい父への怒りは、主への帰属と祈りに昇華され、捜査官の「我々5人は、欠かすことのできないファミリーだ」という、チームへの賛美で終わる。
解説はしないが、信仰と死、罪と罰、そして裁きと懺悔、という普遍的なテーマが具体化されている。祈りの場面では涙した。
一方、我が国のドラマは…。執事とお嬢様のカリカチュアで描かれる「謎解きは〜」。賞金めあて犯人捜しドラマの「ハンター」それなりに面白いが、人間がうすっぺらい。
『メイちゃんの執事』でも取り上げられた執事。「守護する父」との契約の上で命じられた現世での役割を教会で果たすのが、もともとの執事。それが家宰に持ち込まれたのが、英国のバトラーである。
そういう掘り下げはドラマ化にはなかった。原作の方がまだしも、日本的な意味でない「義務」を下敷きにしていると思うけど。
ノブレス・オブリージュを倫理とした、ライオンズクラブもねえ。我が国では横領事件を起こすし。揶揄は批判であり批評であるのだが、サブカルチャーであった。いつしか我が国は、揶揄がメイン担ているように思われる。
まあ、100本に1本、ドラマから深いインスピレーションがあるということ。それが、演劇的なものに魅かれる理由かもしれません。
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