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竹田孫太郎さんは、中国残留邦人一世。
今年三月、夜間中学を卒業された。
真宗寺院の末裔であり、また兄の渡満に伴い、開拓団村へと移住された。
戦前の日本は、資本の集中とそれによる貧富の差を利用して、安価な労働力を準備したのであって、それに依存して富国強兵がはかられ、移民と領土の拡張で経済を発展させたのであった。
安価な労働力とは。
農林漁村においても都市においても、底辺では旧藩秩序や村落自治町自治に依存しつつも上部構造においては近代化するという矛盾により、生産手段をもたない層(借家人や無株層に『水吞百姓』などの江戸期の非納税者層と、明治民法の規定によって土地屋敷財産の相続から除外された次男三男以下の個人や所帯層)のことである。
真宗は、「いつなんどき命終わっても、安養浄土で倶会一処」といただくから、御恩報謝として、「家族のために」「御国のために」、そして生き所を求めて、移民に応じた者を沢山生んでいく。
明治初年のハワイ移民。ハワイがUSAに合併されてからは、アメリカ西海岸からカナダ。そして、北米移民が政治的に制限されると、大日本帝国は半民半官の会社を設立してブラジルなど南米移民を斡旋する。
また、領土の周辺と意識された北海道や沖縄を中心とする南西諸島、そして新領土たる南樺太や千島列島、或いは台湾、朝鮮、と移民を広げていく。それはまた、その地の人を中央にとりこむことであり、反対にそれぞれの土地の人を動かしていくことになる。
インドネシアからオーストラリア、南方諸島にも、多くの日本人(漁民・山民)が移民していくのである。
こういう構造の中で、貧富の差はますます拡大し都市集中による農村疲弊は激しく、それらの中で打ち出されたのが分村計画であった。
国内の地方自治体に適正人口を算出したうえで、それぞれの自助努力を求めるとともに、余剰人口を海外に移住させるという政策である。
このターゲットが「満州」であった。
こうして、竹田さんは、満州の人となり、日本の敗戦とともに「棄民」となって、中国大陸で地を這うようにして生き抜いていかれる。
夜間中学で、nazunaが初めて親しくお話を聞かせていただいたのが、この竹田さんであった。
当時、お元気であったので、喫煙室でタバコをくゆらしながら、満州の話や山での暮らしなどなどを、まだたどたどしい日本語と中国語のチャンポンで、ぽつりぽつりと聞かせていただいた。
上記の本はこの竹田さんの人生を自らつづられた作文を中心に編集されたもので、題目題字も竹田さんの手による。
名もなき中で一生を終える多くの日本人の一人が、歴史と社会の力によって、波乱万丈の人生となった。その竹田さんの人生を通して、私たちは本当の歴史に出会い戦争や政治のもつ「残酷」さを味わう。
それは、今、ここの私が、何に依拠し何を否定し何に委ねて何を学ぶか、という私の人生の糧となって、生きる。そしてまた、私の名もなき人生もまた誰かの糧となっていくことを望む。
そういう生き方を、教えていただいたことである。
卒業して数日。竹田さんは阿弥陀さまのもとへと参られた。こうして記事を書き竹田さんのことをお話するたびに、今ここでいっしょにいられるなあと、いただくことである。
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学びの家






こんにちは。22日のお取次ぎ、楽しみにしています。
[ 一般神仏崇敬者 ]
2012/7/6(金) 午後 6:42
顕正さま
お天気が荒れております。お気をつけてお越し下さいませ。
2012/7/6(金) 午後 9:32