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目をつぶりても吾を統ぶ五月の鷹 寺山修司
寺山修司は、多才な人であった。俳人・歌人であり放送作家であり、演出家で劇団主宰者であり。東北出身のシャイなこの青年は、ネフローゼという重病に倒れて当時としての「死の床」にあった。「虚無への供物」で名高い、作家兼編集者の中井英夫が尽力して、この早大在学の青年の第一句集を出版する。それが『われに五月を』である。この俳人の代表作として一句かかげた。いま声にして胸をうつ句で、死にしばられつつ虚空から自己を見る寺山は悲しくも、いさましい。 病がおさまり、生き急ぐように多くの仕事をなしとげて、昭和五十八年五月四日に、肝硬変から寺山はこの世を去った。その追悼出版に、御母堂トキさんがよせたメッセージがこれ。寺山の誕生日は十二月だから、寺山が世に出たことを「五月に咲いた花」とされたのであろう。 散った花は今大いなるはたらきとして、紺碧の空高くわれらを統べる。私は、予知され統べられ「そこ」へむかう。「私一人の為の開かれた浄土へ。「南無阿弥陀仏」に、今動かされて。 |

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