九月のうた 谷川俊太郎 あなたに伝えることができるのなら あなたの横で泣けるのなら 見知らぬ感情なのだ あなたのせいではない 私のせいでもない 夏はすぎたが悲しみは広がる。ニュースになったように、全国で豪雨による災害が続いた。中でも、広島での土石流の恐ろしさは、コトバでは言い尽くせない。わずか数秒ですべてを押し流してしまう「山津波」の姿に、先の地震の記憶も重なって身震いがした。 「諸行無常」とブッダは悟られた。智恵の宗教である「仏教」は、この世界には変わらないものは何一つない。「宇宙は、世界は運動していてとまらない」と示される。そして、そこに我々の「我」が介入する余地はないのだとも教えられる。 こう聞かせていただいても、私たちはそれを中々受け入れられない。悲しみはうなずける相手があってこそ「悲しみ」という感情になると、詩人はいう。そこにいた、あったという記憶だけが鮮明な私がただ一人、世界に残される。老病死を一人で引き受けて、それでも生きている。誰かを恨み誰かのせいにできるのならば、それがたとえウソであってもすくわれるのだが。 すべてが流されて消え、何一つたしかなものがなくなれば、宙ぶらりん。生きていて死んでいるのと同じ。 そのように呻吟する「私」にただただ「われをたのめわれがすくう」のアミダさまのお名乗りが聞こえてくる。「共に生 ( い )きよう」と力強く。 |

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