|
さて、自転車の二人乗り禁止や、立ち小便禁止など、「道路交通法施行細則」「迷惑防止条例」という罰則がなかったりゆるかったりすることであっても、現代日本社会では「良いことではない」というイメージは共有されている。 したがって、私の子ども時代よりもはるかに、そのような事象は減少している。タバコやごみのポイ捨てもしかり、である。 そこで前掲の理由の③である。 「尼号と使用することで、どんな不便や問題(差別)が起きているのか?誰も被害を受けず、また悩んだり困っている事象が起きていないのだから、机上の空論ではないか。理想主義はいいが教条主義は困る。」 うなずける論理である。上記の事象は他者に多少なりとも具体的な迷惑がある。しかし、自転車の二人乗りなどは、悪いことだとなかなか言い切れないし、道交法が強化されて自転車の走法いついてはルールが厳しくなったけれども、やはり「悪いこと」というイメージは共有されない。 「良くはない」という感じなのだ。丁寧にいえば、想像力の問題であって、二人乗り用にできていない自転車の場合、操法にミスがでやすくなるし、交通事故を誘因する要素となるから、結果として自損他損の事故をうむことが予想される。だから、良くないと連想され、また数は少なくとも実際の事故例があるから、「あかんこっちゃ」と多くの人を納得させる。 しかし「尼」号の場合は、多くの人が、それを使用することでどういう損害が予想されるのか、想像力の中でも根拠が見い出せない。 さらに、同じ真宗で④のように、「他派では使用されている」ことは、むしろ「使用しても問題はない」という方へ導かれる。 そうすると世間法のレベルでの論理ではないことが、はっきりしてくる。つまり③④を理由立てする人々は、法名や尼号を世間法のレベルに限って考えられておられることが浮かぶのである。 しかし、当然ながら「法名」は、仏弟子の名乗りであるから、「仏教徒としての立ち位置」での制度議論でなくては、そもそも意味がない。 従って、仏教徒としてA.女性僧侶や門徒において「尼」号が必要かどうか。B.女性僧侶や門徒において「尼」号を廃止すべきかどうか、という両面からの検討が必要である。 その一方で、「看護婦」業務や「保母」業務に男性がかかわることが増え、男女両者がその資格を得ることで、「看護師」「保育士」と呼称を変更したことの論理と現場での現状から、③④の意見を世間法のレベルだからと等閑視せず、世間法とも照らし咀嚼していくことも重要であると考える(続)。 |
全体表示




